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マトン・キーマ・カレー [in シリグリ]

2009.07.14 ▲インド
R0011689

むかし読んだサザエさんの4コマ漫画で、

「お、今日はすき焼きか♪」
 と、帰宅したマスオさんのコマで始まり、
「なんだ、マトンか……」
 と、意気消沈するマスオさんでオチるものがあった。


それほどまでに、日本でのマトンの地位は低い。
一時期のジンギスカンブームで多少は支持者を増やしたかもしれないが。
でも、ジンギスカンブームの時だって、
羊の肉は「健康に良いから」、「柔らかいから」等々、
みんないろいろ理由を付けながら食っていて、
ストレートに「おいしいから」という理由で食べている人は少なかった気がする。
殊更に「ラム」だと主張していたのも、脱マトンのイメージ戦略だったのだろう。
なによりブームが落ち着いてみたら、残っているジンギスカン屋って本当に少ない。

かく言う自分も、マトンは臭くて嫌いでした。
でも、羊や山羊を料理し食べることに慣れている人達のマトン料理は、
本当にうまいと思う。

中国・西安のイスラム街で食べた羊肉串は、本当にうまかった。
通常、串肉一本1~3元(15~45円)程度なのだが、
ひと際うまそうな串を焼いているおっちゃんに聞いてみると、一本10元(150円)だと言う。
よく見てると中国人も10元払っている。
奮発して食ってみたら、うまかった。
「うまいね」と、思わず叫ぶと、「そりゃそうよ、羊肉だもの」と隣のおばちゃんに言われた。
ヒツジ=うまいは、一つの真理として成り立っているようだ。
中国では羊肉が最上の肉だって言う人が結構いる。

そういえば、日本を発つ直前に読んだ北方謙三の「水滸伝」や「三国志」でも、
手や口をギラギラと脂まみれにしながら、
うまそうに羊の肉を食らっている漢たちのシーンがよく出てきた。(漢と書いてオトコですね。)
さすがケンゾーさん。中国での羊の価値をさらりと織り交ぜていたのですね。
それに、“羊”が一部入っている漢字は、良い意味の言葉が多い。
美、義、鮮、洋、善、祥、詳 etc.
それから、思い出すのが、泰山の岱廟を訪れた時のこと。
歴代の皇帝達がした石碑が飾られていたが、漢代のもので印象的だったのが、
やたらとヒツジの意匠が多いこと。
中華世界では当時から、羊は財産であり、ご馳走だったのだろう。

また、ネパールのマトンキーマカレーもうまかった。
一時期、メニュー200種類以上もある店で、
毎日マトンキーマカレーばかりを注文して食べていた。
自分の場合、一度気に入るとそればっかりになってしまう。
店員からは“アホか”と思われていたに違いないが、
羊の脂には中毒性があるに違いない。
無言でがっついた。


でも、インドのシリグリで食べたマトン・キーマ・カレーが最高だった。
入り婿のマスオさんが、不満を爆発させることはないでしょうけど、
このレシピさえあれば、磯野家の食卓もさらに愉快になること請け合い。





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英国風味のダージリン

2009.06.25 ▲インド
IMGP9571


坂の街・ダージリンへは、ある人へ手紙を届けに訪れた。

手紙を届ける予定のおんなの子の名前は、キキ。
そして、私は宅急便。
って、何だかとってもファンタジーな予感ですが、
本文とは関係ありません。

ネパールのカトマンズで会った、ある日本人男性は、
ネパールに来る前に滞在したダージリンで、
日本語学校で日本語を勉強しつつ教えているキキさんと出会ったという。
その彼から託された一通の手紙を携えて、
キキさんに連絡を取り、会うことになった。

待ち合わせの場所に現われたのは、とても可愛らしい姉妹だった。
二人とも、目も形も丸々していて、愛嬌がある。

キキさんに電話したとき、
妹と一緒に行きますよ、と言っていた。
会って、しばらく話すうちに、姉のキキさんは人見知りなんだと分かった。
どちらかというと寡黙で思慮深いキキさんに対して、
ちゃきちゃきしていて、良くしゃべる妹さん。
一緒にいた方が心強かったのだろう。

二人とも大学院の修士を終えていて、流暢な英語を喋る。
インドの大学は英語で行われるのだから当然か。
二人とも育ちの良い才女なのだ。
姉は、高校の講師や日本語学校で教え、
卒業間近の妹は、国家公務員を目指している。

父親はチベット系、母親はネパール系だと言う。
家では、ネパール語が共通語。
でも、「私達はネパール語をちゃんとしゃべれない」のだと言っていた。
幼い頃から、「良い学校」へ通った彼女らは、
学校内では英語のみで話すことが課せられ、ネパール語を喋ると罰金を科せられたのだという。
まるで、昔の沖縄の方言札のようだ。
彼女らはさいわい、ネパール語の会話こそ出来るものの、文字を読むのは苦手なのだという。

彼女達は、丸々していて愛嬌がある。
良く食べるのだ。
お昼時から半日一緒に過ごしたが、次々とご馳走してくれた。
お茶とケーキ、ソーセージとハム、生菓子、餃子とチベット茶、チョコなどなど。
なかでも、モモ=チベット餃子をおいしそうに食べ、バター茶がおいしいと言った。
子供の頃からの常連だというチベタン料理店に連れて行ってもらった時のことだ。
彼女らの父親がチベット系だというから、当然か。
この時ばかりは僕も、苦手なバター茶を飲み干した。


英領インド時代に避暑地として開拓されたダージリン。
地名の由来はチベット系言語にあるという。
今では街の中心となっているチョウラスタ広場は、
もともと一人のチベタンが所有する広大な土地であったが、
彼は土地を砂糖1Kgと引き換えに手放してしまったのだという。
砂糖の味を知らなかった彼には、砂糖の方が貴重だったのだ。
英領時代には、イギリス人の別荘の集まるチョウラスタ周辺には、
「犬とインド人は入るべからず」との看板が掛かっていたそうな。

お茶の栽培地としても有名なダージリン。
もともとネパール領の一部だったという歴史もさることながら、
茶園の開拓のため、ネパールからの移民を大量に引き入れたという。
今でも、ダージリンの8割以上はネパール系という。
街のそこかしこから、耳に馴染んだネパール語が聞こえてくる。

ネパール、インド、イギリス、チベット、など、
様々な文化が交錯するダージリン。
二人の姉妹は、英語を流暢に話し、インド式サリーを着こなし、
チベット料理を好み、家庭ではネパール語を話す。

彼女らは、インド人である。
インド人の中でも、最高レベルの教育を受け、
一人は国家公務員になろうとしている。
しかし、彼女らの味覚は一般的なインド人とは異なる。
紅茶を一緒に飲んだとき、インド風マサラ入りの甘い紅茶は嫌いだといっていた。
英国風のさっぱりした紅茶が好みのようだ。
それでいて、チベタン式のモモやバター茶をこよなく愛している。
しかも、彼女らの母語はネパール語なのだ。

大陸では、四方八方、人が往来している。
でも、大陸では、一歩またげば違う国でもある。
いろんな地理や歴史が絡み合って、つむぎ出された所に、
彼女らは生まれた。

「ネパール語の読み書きが出来ない」と言ったとき、
彼女は寂しそうな顔をした。
でも、その気になれば、マスターするのは余裕だってことは、
彼女自身が一番よく知っているのだ。
いま置かれている立場、住んでいる場所で、特に必要が無いだけだろう。

でも、一人の人間は、色んな文化を背負えるのだ。
失うものもある。でも、得ることの自由がある。




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ダージリンの時計台。ロンドンのビッグベンと同時期に建てられ、
1時間おきに鳴るチャイムの音も、ビッグベンと同じ。


IMGP9606
イギリス風の建物があちこちに。


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st.アンドリュース教会。彼女らが卒業した女子高が、この教会に隣接している。



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街を行き交う人も、いろいろな顔つきをしている。



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街のあちこちに、チベット独自の領土を求めるポスターが貼られている。
中国側は全てのチベタン居住区を含み、チベット自治区の領域よりも、広く描かれている。
一方で、インド内のチベタン居住区は要求していないのは、インドに気を遣っているのか。


IMGP9672
これもまた貼り紙。
ダージリンはダージリンで「GORKHALAND」としての自治拡大を要求している。




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