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街角写真・チッタゴン

バングラデシュ第二の都市チッタゴン。
とはいえ、1泊だけで通過してしまった街・チッタゴン。
せめて散歩中のスナップだけでも、ご覧あれ。


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手前の3輪車はCNG(圧縮天然ガス)。バングラは天然ガスの埋蔵量が豊富なのです。

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チッタゴン駅の旧駅舎。

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駅内は出入り自由。右手の車両は廃車でしょうか。

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皆、車内で涼んでいました。

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犬も駅舎で涼んでいました。

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揚げたてです。

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イスラム帽の少年。金曜日は礼拝の日です。

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船着場。


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イスラム国の仏教徒 [バングラデシュ/ウキア]

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「この世に必要なのは、叡智なのだよ。」
おじいさんは哲学者の顔で、そう言った。

ウキア村でホームステイをしたウタム君の家でのこと。
仏教徒のおじいさんの書斎には、
コーランや聖書をはじめ他宗教の書が積まれている。
なぜ他宗教の書を読んでいるのですか?と僕が尋ねたとき、
おじいさんは、そう言ったのだった。

「この世に必要なのは叡智なのだ。
 叡智を持った人が多くなり、叡智を持った人が偉くなって人の上に立てば、
 世の中は誤解や偏見から解き放たれ、平和になるのだ」と。



イスラム教の国、バングラデシュであるが、
ビルマ国境近くの南部には、仏教徒がたくさん住んでいる。
なぜ、この地に?
御歳70のおじいさんは、一族の来歴について静かに語ってくれた。

かつてインドで仏教が華やかなりし頃、その中心は現インド・ビハル州にあった。
現在でも仏陀が悟りを開いた地・ブッダガヤやナランダ仏教大学跡などが有名だ。
1200年代以降、インドにイスラム勢力が流入した。
偶像崇拝を禁ずるムスリムは、またたくまに北インドを制圧し、仏教寺院や仏像を破壊。
仏像は顔を潰されたり、首を切られた。
当時、かつての隆盛こそ過ぎたとは言え、
それでもまだビハルを中心に勢力を誇っていた仏教徒たち。
彼らの中心勢力は東へ逃れた。

ビハルを後にした仏教徒たちは、
その後ヒマラヤ沿いの山地を伝って逃れた。
アッサム→トリプラ→チッタゴン、と各地を転々とした後、
大勢は、ビルマへと辿り着いた。
そうして東遷した仏教徒たちだが、中には移動の途中で定住する人達もいた。
おじいさんの一族もその内の一つだという。



バングラデシュ南部のウキアは、
ヒマラヤの支脈がビルマとの国境を分かち、国境までは12kmほどの距離。
町では、ビルマ産の米も売られている。
こじんまりとした中心街は市場や商店が並び、賑わっているが、
3分も歩けば見渡す限りの田園地帯である。

かつて『アラカン王朝』がこの地を治めた。
現バングラデシュ東部から現ビルマのアラカン山地にまたがる仏教王朝で、
イギリスのインド支配がこの地に及ぶ1800年頃まで存続した。
彼ら仏教徒がこの地に定着したのも、仏教を庇護するアラカン王を頼ってのことだったという。



さて、おじいさん達・バルア家は、1920年代にここに定着した。
移住当時、原住民は、ビルマ系(モンゴロイド)の人々ばかりだったという。

「我々は、侵略者でもあるんだ」と、おじいさんは言った。
「我々は、後から来て彼ら先住の民から土地を奪ったのも事実だ」と。

かくいうおじいさんの祖母も地元のビルマ系の人で、
父親はモンゴロイドの顔つきをしていたという。
孫筋に当たるウタム君にも、確かにその特徴は見受けられる。

英領インド時代、おじいさんの祖父は、
東ベンガル第二の都市であるチッタゴン地区の副行政長官だった。
チッタゴン近郊に大きな屋敷も持っていたという。

1947年、英国からの独立時、住民投票によりチッタゴン地区は東パキスタンに編入された。
以後、この地域にもムスリムが大勢移住してくることになる。

1971年、バングラデシュ解放戦争。
半年にわたる戦争の間、一族はビルマ側に一時避難した。
戦争が終わり、戻ってきてみると、チッタゴンの屋敷は破壊されていた。
ウキアの田園地帯も辺りの家屋は破壊しつくされ、一面野原になっていた。
ホームステイさせてもらったバルア家は、
戦後、臨時で建てた家を、そのまま今まで使っているのだと言う。


そして、現在のウキアの田園地帯。
仏教寺院が100mごとに建つほどに多い。
移住してきたムスリム達も多く、今では、仏教徒とムスリムが半々。
話に聞いた壮絶な歴史とは裏腹に、異教徒同士が仲良く同居している。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな長い、長い話。
途中で何度も質問し、メモを取り、頭を整理した。
聞き終えたとき、思わず溜め息が出た。

そして、「ディアスポラ」という言葉が頭に浮かんだ。
彼らは、少なくとも西暦1200年頃からの記憶をアイデンティティとして持っている。
長い、長い叙事詩のような一族の歴史。

「必要なのは叡智なのだ」と、
厳しい哲学者の顔でおじいさんが言った時、
仏教者としての誇りが、そこに垣間見えた。
何百年もの長きにわたり仏教徒としてのアイデンティティを保ってきた一族の誇り。
己に打克って、叡智という悟りを得ることを至上命題とする仏の教えに従う者としての誇り。
恐らく、その二つの誇りがおじいさんの内には、濃密に凝縮されているのだ。

「ディアスポラの民」とは、
そういう毅然とした生き方を運命づけられているのかも知れない。
ユダヤ人にしても客家にしても。
彼らには、守り続けなければいけないものが、重いほどある。

それ故か、彼らは教育を非常に大切にする。
「ディアスポラの民」が教育を大事にすること。そこに実は宗教・人種の別は関係無いのだろう。

先祖代々受け継いできたものが有り、
それをまた、子々孫々引き継いでいかなければならない、という意識が、そうさせるのだ。
彼ら一族には、これまで受け継いで来て、これから引き継いで行く、
明確な物語がある。歴史がある。
それを背負った個人は、ぶれることが少ないのだろう。




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ある日のお寺にて。お勤めの様子。
檀家たちが仏像の下、お坊さんの講話に聞き入っている。


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喜捨の風景。
寺にお勤めに集まり、講話を聞いた後は、人々が持ち寄った食べ物をお坊さんが頂く。


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おそらく日本以上にハイテクを駆使していると思われる仏像。
由緒正しい寺ながら、一時期は他宗教との関係で不遇を囲っていたのだから、仕方も無い。


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こちらはタイ国から寄付されたという仏像。
なるほどキラびやかである。


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近所のお寺も訪問。住職が一人。
訪れると、コーラをご馳走してくれた。


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若き僧侶たち。



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お堂の建築様式は、ミャンマー式。
重層的な屋根および高床式構造が特徴的。



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ホームステイ日記 in バングラデシュ・ウキア

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午後4時チッタゴンを出発し、南部のコックスバザールへ向かう。
途中で雨が降ったためバスが遅れ、到着は夜10時過ぎになった。

「夜も遅いしのでウチ泊まってきなよ」 というお言葉に甘え、
ウキアにあるウタム君の実家へ向かう。



雨の中、ウキアの町の中心から、リキシャに乗って彼の実家へと向かった。
町と言っても、一本の大きな街道沿いに商店が並んでいるほどで、
ちょっと裏に入ればもう、すぐに田んぼが広がっている。

到着の深夜、雨の降る中、リキシャの上からあたりを眺める。
点々と光るものが見えた。

蛍だった。



世界一長いビーチで名高いコックスバザールへ向かっていたのに、
いつの間にか、ウキアという町に滞在することになった。
ここまで来たのは偶然に偶然が重なってのこと。

一つの街に最低2泊は滞在する自分が、前の滞在地チッタゴンには珍しく1泊のみ。
チッタゴンでは、駅前のちょっと高めのホテル、エアコン付きの部屋に泊まった。
久々の快眠。

すっきりしたせいか、あと腐れなく出発、という気分になった。
翌朝、「次はコックスバザールへ行きたいんだよね~」なんて、フロントでだべっていると、
ちょうどホテルのベルボーイが、コックスバザール近くの実家に帰るという。
一緒に行かないか、と誘われた。

会って最初に交わした会話で、いきなりの誘い。
少し戸惑った。

すると、ウタムと名乗るベルボーイが「宗教は何ですか?」と訊いてきた。
僕が「仏教だよ」と答えると、「同じですね」と言う。
聞くと、バングラ南部には“バルア”姓を持つ仏教徒が多いのだという。
イスラム教徒が7割以上を占める国のこと。
同じ仏教徒として、彼が僕に好感を持ってくれたのが、すぐに見て取れた。
最初の警戒心が取れた僕は誘いに乗り、
一緒にコックスバザール行きのバスに乗っていくことにした。

こうした偶然が重なって、
一緒にバスに乗りコックスバザールを目指し、
バスの到着が遅くなったため、ウキアの村でウタム君の実家にホームステイすることになった。

最初は一泊だけのつもりが、居心地が良かったので、結局4泊も。







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ウキアの繁華街。
ここから3分も歩くと田園地帯になる。




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見渡す限りの田園地帯。
あらためてバングラデシュは平らな国だと感じる。




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田園地帯では、こんな家。




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バングラデシュの国果=ジャックフルーツ。
夏の太陽をたっぷり浴びた果物はとっても甘い。




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バナナも。




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山羊も。




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鶏も歩いてる。




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地元の小学生。なかなか立派な制服です。




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ある日、ホームステイ先の鶏が一匹いなくなった。 
と思ったら、昼飯に鶏の足が載っていた。




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しかし、この家の料理は本当にうまかった!
お母さんは料理上手。バングラ西部で生まれ育ち、南部に嫁いできたからだそうだ。




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ウタム君は、チッタゴンの大学に通いながら、ホテルで働いている。
カメラを向けると必ずといって良いほど、裕次郎みたいなポーズを取ってくれる。




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街角スナップ [ダッカ]

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ラールバーグ・ケッラ。首都ダッカを代表するムガル朝時代の建築物。
建物の目の前の人物を見て分かるとおり、意外とちっちゃいです。

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ベンガル分割令を出したカーゾン総督の名を付した“カーゾン・ホール”
現在では、ダッカ大学の一部。

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バングラデシュは日本より人口が多いのです。首都ダッカは、やはり都会です。


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こんな近代的ビルディングも。


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街中に象が出現することも。


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リキシャマン、昼飯を食う。

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バングラデシュ空軍の門前。非常に分かりやすい看板です。
ちなみに陸軍前には、戦車が置いてありました。

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うまそうなマトン、の周りには、魚介。
何だか詩的な配置。

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ガイドブック的な表現を借りると、「賑わうダッカの中心街」といったところか。
とにかく人が多い。特に夏、日が暮れても(暮れた方が?)賑わうようだ。

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線路の上にも人、人、人。


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馬車も活躍中。


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これは裁判所だったか?(すみません。記憶が朦朧…)
英国風な芝生と建築。

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別アングルからも。


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頑張れ!リキシャマン。


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『バナナを売る男』


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ホテルのテラスから。

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「行くで~」


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「さあ、来い!」
バングラではクリケットが一番人気。



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イスラム国のヒンズー教徒 [オールドダッカ]

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バングラデシュ国はイスラム教徒が7割以上を占めるが、
首都ダッカの旧市街には、ヒンズー教徒が多く住む。

ここで出会ったゴタム君(28歳)もヒンズー教徒。
聖人のような名前をもっている。
ご存知お釈迦様の名前は、ゴータマ・シッダールタ。
ヒンズー教では、お釈迦様も神様の一人として敬われている。
「オレは仏陀と同じ名前なんだ」と胸を張って言った。

彼は、給料が安くて困っていると言った。
週6日、朝から晩まで働いて、月給はたかが知れているという。
10年前に父親を亡くし、50歳になる母親を養なっている。
母親にもっと良い暮らしをさせたいのだという。
「自分の楽しみのための金など要らない。
 でも、大事な家族を養うに十分なお金は欲しいんだ。
 死んだときに、あいつは良いやつだったと言われたい」と言った。
考え方も聖人のようなのだ。

彼は、英語が上手に話せないといって悩んでいた。
自宅へお邪魔したときに見せてもらった英語の教科書は、
いくつものページの角が折られ、線や丸のしるしが書かれ、手垢にまみれていた。
独学で彼は、英語を勉強している。
英語を学ぶことで、どこか出口を見つけようとしているようだった。
「ダッカでは、出稼ぎ帰りのビジネスマンにも何人か会ったけど、
 君の方が上手に英語を話すくらいだよ。」
というと、嬉しそうな顔をした。

迷路のようなダッカ旧市街を半日、彼は僕を案内してくれた。
その日はたまたま彼の週一度の休日だった。
路上の茶店で時間を潰している時、
たまたま見かけない人間がふらついているのを見つけて、声を掛けた。
ただそれだけのキッカケだったのだろうけど、
彼は僕にいろいろな身の上の話をした。
生まれ育ったその場所の外へ、つながりを求めているかのようだった。

彼はインドのボリウッド映画が好きだも言った。
「ヒンディ語は、だから完璧さ」と。

夕暮れ時、ダッカの旧市街の至る角にあるヒンズーの神々の寺院には、
お参りの人達が集まってくる。
僕らも、あちこちにある寺院を歩いて廻った。
手を合わせて、頭を下げた。
日本のお寺でも、こうするんだよ、と僕が言うと、
「お、一緒なんだね」嬉しそうに言った。



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遠くに見えるのはアシャンモンディール。旧地主の屋敷。今は博物館として公開中。
かつては庶民がたくさん住み着いていて、ゴタム君の一家も住んでいたという。

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ショドルガット(船着き場)。オールドダッカはブリゴンガ川沿いに古くから栄えた。
デルタの国バングラデシュ。ここから各地へ船が出る。

IMGP9719




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