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白鳥の湖   [ウクライナバレエ観劇記]

2012.01.17 ・雑記帳





衝撃的に面白いと感じることがあったので、
今回は、順番を飛ばしてリアルタイムのUPです。
知り合いの知り合いの妹さんがバレリーナで、入場券を頂いたので観劇しました。
以下、先日1/15ウクライナ・ルヴィヴでのバレエ観劇日記より。



初めてバレエを見たのは、タシケントのナヴォイ劇場だった。
その時は想像していた以上に面白いものだと感激した。 
今日観た『白鳥の湖』は、以前のものよりもずっと本格的。
チャイコフスキーに縁のあるウクライナでの観劇となると心も弾む。
小ぶりな劇場ながら、生オーケストラが舞台前に潜む。僕らは3列目の席に座る。

以下、観ながら思ったことを徒然と。

バレエを初めて観た時には想像以上にコミカルなものだと感じた。
衣装のぴっちりタイツなどのせいもあるだろうが、
足の運びかた、リズム、ぴょんぴょん跳ねるような動作がコミカルに感じたのだと思う。
今日あらためて観て、やはり陽気なものだと思った。
栄光、歓喜、美、ハッピーエンド、キーワードを並べてみるだけでも、
劇の全体を通して、肯定的な色合いが強い。
(もちろん悪の象徴も登場するのだが、あくまで引き立て役である。
 善を描くには悪の存在とそれとの対比が必要だというほどの意味合いでしかない。)
人生に肯定的な陽気さは、その独特な踊りの表現形態によっても引き立てられる。
リズミカルに軽快に、くるくるまわったり、手足を上げ下げしたり、
まるで巨大な機械仕掛けの人形たちが盤の上で動いているかのような、
朗らかさ、軽快さがある。

こんにち、観劇というと映画だろうか?
劇場という言葉で指すものとしては同じだ。大きな箱、暗闇、明るい舞台上。
だが、音楽は一方は生オケだが、一方は一度録音されたものをスピーカーで流すだけ。
演劇も一方は一回きりのぶっつけ本番。一方は録画された一本を何度も再生する。
どちらも大量生産を可能にした効率的な形態だ。
20世紀の大衆化、大量生産の時代を経て、
我々の社会ではいつの間にか芸術までもが大量生産可能になってしまったようだ。
そして、生まれた時からそういう芸術に触れている時間の方が遥かに多い僕なんかは、
バレエを観て衝撃をうける。

バレエでは舞台上の四隅までを隈なく使って、踊りが表現される。
観ている内に、
ああ、フィギュアスケートの基はバレエだったのか、と今更ながら気がついた。
軽快なリズム、手足を大きく広げたジャンプ、くるくる回転する形などはそっくりだ。
フィギュアのTV中継では、
「来たートリプルアクセル!」などとアナウンサーが絶叫して解説する様を見て、
もっと落ち着いてじっくり見れないものかと、よく苦々しく思ったものだ。
音楽が流れ、それに合わせてフィギュアのスケーターは踊っているわけだから、
肝心の音楽も合わせて聴かなきゃ台無しだし、良し悪しも判断できないだろうに。
うるさい解説だ、と思っていた。
しかし、いや、見方を変えてみれば、
日本では解説者がそうでもして盛り上げていかないと視聴者が着いて来ないのか?
という意地悪な見方も出来てしまう。
自分も含めてバレエなんて高尚な劇には縁遠い日本人の方が圧倒的に多い訳で、
バレエ観劇と同じ姿勢でフィギュアを観るというような趣味の人間も少ない訳で、
そうなると違った角度からフィギュアを啓蒙していかなければいけない訳で、
そうして行き着いたのが、スポ根物語的なイケイケ解説=
必殺技が決まったー!感☆涙涙!!!なのかも知れない。

なんにしても、バレエ観劇なんてなものが身近な芸術としてある国民は、
フィギュアスケートに対する見方も大きく違うのではないかと空恐ろしくなった。
特にハイカルチャが人民のものとして解放され、劇場が身近だった旧ソ連なんて、
フィギュアスケートへの接し方一つとっても土壌がよほど違うのだろう。
(米原万里女史の「嘘つきアーにゃの真っ赤な真実」と言う本のベオグラード
 に関する編で、社会主義体制が崩壊して一番困ったのは観劇料が上がったので、
 以前ほど文化的な生活を送れない、とユーゴ人の幼馴染が言うシーンがあった。
 旧ソ連でも同じ変化はあったのだろうが、今日の劇場内でも子供の比率の高さが
 目立っていたし、身近であることには変わりなさそうだ。)

ところで、演劇の特徴を取り入れて、氷上で表現するということであれば、
日本発で能フィギュアや歌舞伎フィギュアなんてものを発明した方が
よっぽど革命的かもしれない。
歌舞伎はちょっと五月蝿すぎるか。
能の世界を氷上に再現したら、幽玄で良いかも知れない。


日本も含め旧西側の人間からすると、クラシカルなハイカルチャは、手に届きにくく、
一部の上流階級が貴族趣味を満足させるために関与しているもの、
なんてなイメージがあるが、旧東側にあっては人民のためのもので、
旧ソ連の主要な都市には立派な劇場が建てられていた。演じ手は生活が出来、
観劇者も安い観劇料で見ることが出来るので触れる機会は圧倒的に多かった。
もちろん、こうした「公式な」芸術が模範化された裏には、
ジャズやロックなど西側では戦前戦後と流行ったような
新しい形態のものが排除禁止されたという事実もある。

自分の個人的な音楽遍歴で言うと、
いわゆるカウンターカルチャにどっぷり染まってきた、
というか、それしか知らない時代に生きてきた世代である。
最初に入ったロンドンの学校ではビートルズのイエローサブマリンを習い、
日本の中学校では、親の世代のポップスを合唱するような音楽教育しか受けてない。
そんな人間が、がちがちの本物のバレエに接したとき、衝撃を受けるのも仕方がない。
まるで地球の裏側から来た?いや鉄のカーテンの向こうから来た?
表現は何でも構わないが、まるで未知のモノに出会ったくらいの衝撃がある。
裏の裏は表に戻るのだ。今まで知らなかったハイカルチャ側こそが、
自分にとってのカウンターカルチャなのかもしれない、という奇妙な発見。


ロシアには行ったことがないので、ウクライナの話になる。
独立後のウクライナは公然とロシア批判が出来るようになっただけあって、
「脱露入欧」的な気分が強いため、ともすれば、
1991以前への感情がソ連への反感とロシアへの反感が入り混じっていることもある。
昔の世代に比べると、とくに若い世代に欧州思考が強いようだ。
そうした雰囲気を反映してか、英米産の「洋楽」が結構もてはやされるようだ。
英語の歌詞が理解できる者は少ないだろう。が、街の商店やラジオではよく流れている。
日本での洋楽の受け入れられ方に似ているかも知れない。
(だからウクにあっても「洋楽」である。)
例えばギターでロシアの歌を弾き語りするよりも、
洋楽を弾いた方がウケが良いなんてこともしばしば。
ちょっと昔の90年代の洋楽、レジオヘッドとかオアシスとか
ボンジョビとかガンズ&ローゼスとか、
自分は古いし恥ずかしいから歌いたくないと思っていても、
ウクの若者たちにはウケ良かったりする。
部外者としては、今後この国も標準化されつまらなくなって行くのかな、とも思うが、
それはロシア化された過去に既に経験済みのことでもあるのか。


話をバレエに戻そう。
さっきも映画との違いを考えてみたが、ソフト面でも比較が出来るだろう。
現代の映画は基本的に写実主義である。
片や、太古以来の人類の芸術は、
自然界を人間の創意によって切り取ってきた歴史でもある。
それらデフォルメされた作品たちは寓意に満ちていて面白い。
バレエも人間が白鳥を演じたりする。見立ての概念があるわけだ。
現実感を追求した写実主義よりも
想像力が駆使された創造物は読み解きの面白さがある。
ところで、現実世界自体をデフォルメした上で無いと
そもそも物語の構築なんて出来ないのではないのだろうか?


今回のバレエの中では、
そうしたデフォルメされた物語の中における「道化」の存在が面白かった。
白鳥たちに混じって踊ったり、王や王女の傍に座ったり、王をからかったり、
と、縦横無尽でこだわるところがない。
身分や性別、役割などを超越した存在なのだろう。まさにジョーカーだ。
最後に主人公二人に次いで拍手を受けていたのが、道化だった。

ところで、一般的に踊りには、それぞれ独特な形態があって、
特徴的でない踊りなんてものは皆無なわけだが、
その例に漏れず、バレエも非常に特徴的だ。
バレエシューズを履いて、姿勢よくつま先だって、
足を大きく上げたり、手を羽ばたいたり、する。
一番バレエらしい特徴は、爪先立ちだろうか?
爪先立ちには理由があるような気がする。
無音で踊ることがバレエにあっては重要なのであろう。
オーケストラが音を奏で、無言(せりふは無い)なのがバレエだ。
音楽を邪魔することなく、踊り子たちは、手足身体の動作だけで表現する必要がある。
そうした制約から生まれた特徴的な形態なのではないだろうか?

そういえば、旧ソ連を旅していて思ったことがある。
皆、よく「訓練」されているのだ。
学校、軍隊、家での躾など、訓練をほどこすチャネルはさまざまだろうが、
共通の美徳が存在していたことは確かだろう。
身近なところ、一般人で言うと、居佇まい・姿勢の良さなどの行儀良さ。
流暢に言葉を操り演説する作法。
スポーツマンとしてのトレーニングや心掛け。禁酒禁煙。雪の日でも走り込む。
もちろんこうした訓練が全員が全員に行き届いている訳ではないが、
こうした訓練が尊重される美徳や価値観は共有されているのだと思う。
バレエの背筋をピンっと張った踊り子達を見ていて、そんなことを思った。


しかし、3幕は結構長いな。約3時間か。
集中して観ていたのは2幕目の真ん中辺りまで。
途中でぼっとしてる自分に気づいた時、
“うん。眠気を誘うシーンも必要だよな。物語はメリハリ。
音楽も強弱。静けさの後にぼーんと行くから迫力や躍動感があるのだ”
と言い聞かせたが、
その数分後には、“今晩のおかず何にしようかな?”なんて考えていた始末・・・




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謹賀新年 from ウクライナ

2012.01.02 ・雑記帳
明けましておめでとうございます。

いつものことながら、旧年を振り返ってみれば、
色んな方々からお世話になったな、と、つくづく感謝の一年でした。

昨年の元旦はグルジアのテラヴィで焼豚とワイン三昧でした。
3月11日の震災はイラクのエルビルで地元人に教えてもらった。
震災について、神を信じてないから罰が当たったのだ、と言われたときには腹も立ったが、
でも、多くの人が日本は大丈夫かと心配してくれるのは心底有難いと思いました。
どの国でも良い出会いがあって、その国を知るために色んな人に助けてもらいました。

今年の年越しはウクライナのルヴィヴという街でした。
まさかの3年連続、旧ソ連圏での年越し。
今年は(今年も?)、同宿者のウクライナ人、ロシア人、ポーランド人とともに、
酒を飲みながらの愉快な年越しとなりました。
ロシア人と言っても出身がタジクのドゥシャンベだったり、グルジアのトビリシだったり、
はたまたシベリアだったりと様々です。
1時間ごとに縁のある土地が新年を迎える度に、乾杯となります。
呑みながら祝うってのは良いものです。


さて、ブログの方ですが、時差は開く一方ですね…
今掲載中のウズベキスタンのあと、

タジキスタン>ウズベキスタン>トゥルクメニスタン>イラン>アルメニア
>グルジア>アゼルバイジャン>グルジア>トルコ>キプロス>トルコ>東欧諸国

と移動してきてるわけですが…
下の地図で見ると、カザフスタンとアフガニスタンの間がウズベキスタン、タジキスタンですので、
ちょうど大陸の真ん中です。ここまでしかまだ書いてない…
つまり、これからもまだまだ書くことがあるようです。




より大きな地図で 仕立屋の辿ってきた道 を表示



というわけで、
本年もどうぞ宜しくお願い致します!



仕立屋





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日本人初? ユーラシア大陸最大の洞窟へ [オプティミスティチナ洞窟]

2011.12.11 ・雑記帳




一週間の洞窟探検から無事、地上に帰還しました。

ウクライナ西南部コロリフカ村(Королівка)の地下は広大なカルストをなしていて、
そこのオプティミスティチナ洞窟(Оптимістична)は
踏破されている分だけでも238km、未踏破部分も含めると全長500kmに及ぶ、
ユーラシア大陸最大の洞窟です。(世界でも第3位)

このたび縁あって、探検隊に参加してきたのですが、
たぶん日本人初の訪問者だ、と言われました(!)
けっこう適当な人たちなので、ホンマかいな?という感じですが、
そうだとしたら、名誉なことです。

洞窟内は、かなり手つかずの自然のまんまで、とうぜん狭く、
カニ歩きや、四つん這いになって中を進みます。
そして、ほぼ毎日、地崩れで埋まった窟道から土を掻き出す作業をしたのですが、
かつての炭鉱労働者もこういう気分だったのだろうか、と
なかなか味わえない気分を体験することができました。

ま、詳しい状況は今後ウクライナ編をUPするときにお伝えするとして、
とりいそぎ生存報告でした。







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訃報

2011.10.12 ・雑記帳
【 ※2011年10月16日。カンパ受付は一切打ち切りました。
   諸方ご迷惑をお掛けしたしたこと、お詫び申し上げます。】



映画でも何でも、物語の中で人が死ぬと、
「なんで死ななきゃなんないんだよ、バカヤロー」とつぶやきたくなります。

僕が今の旅に出てから2年半ほどたちますが、
一度、祖父が亡くなったため帰国しました。
そして、今回、二度目の訃報に接しました。

久しぶりのブログ更新がこんなお知らせになるとは、何とも言いようのない感じですが。


自分の人生の中では、いつも亡くなるのは年上と決まってました。
老衰にしても、疾病にしても、それなりの寿命を終えて亡くなっていきました。

でも、今回、接した訃報は、
歳も僕と同じ30歳代で、同じように旅をしていた夫婦です。
彼らとはイランのエスファハンという街の同じ宿で最初に出会い、
その後も、テヘランやグルジアのトビリシで数度再会した夫婦です。
彼らはその後、ヨーロッパやアフリカを楽しんで、南米へ。

僕、個人的には、半年ほどロンドンで働いていた彼らに
具体的なことをメールで教えてもらおうと思っていた矢先でした。
アフリカ滞在中に感染したマラリアが、南米ボリビアのラパスにて発症し、
ついに帰らぬ人となってしまいました。 つい先日、10月7日、8日のことです。

突然でした。しかも夫婦二人そろってです・・・
まさか、まさか。
それも、あと2週間ほどで帰国、というタイミングでした。


何べんバカヤローとつぶやいても、吐き足りない。

お二人のご冥福をお祈りします。




彼ら夫婦は、元気に旅している様子をブログにUPしていましたので、
ご存知の方もいるやもしれません。

→タビロック~夫婦で世界一周しよっ♪♪~
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それと、親友の方がブログで、彼らの旅立ち前や最期の模様を友人目線で書いています。
→日の丸写真館

地震によせて

2011.03.18 ・雑記帳
こんにちわ。
わたくし只今トルコのシャンルウルファにいます。

東北震災のニュースは、こちらでも引切り無しにニュースになっています。
被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。
当方実家は東京ですが、連絡を取ったところ幸い皆無事との事でした。

最初、地震のニュースはイラクのアルビールにて知りました。
3/11は、反フセイン政権蜂起の記念日で大統領演説を含む大きなイベントがありましたが、
その会場でたまたま会話した人が、日本でマグニチュード8以上の地震が起きた、と教えてくれたのでした。

その後、限られた環境下ながら、毎日のようにニュースを追っていましたが、
日に日に被害の全貌が明らかになるにつて、ただただ呆然としました。

現地の人らも同様に、日本からの映像を大きな関心を持って見ているようで、
繰り返される報道で、「ツナミ」という単語を今では誰もが知っているほどです。
こちらが日本人と分かると、励ましの言葉をくれたことも数え切れません。
遠く離れた場所で悶々としていた身としては、これはとても励まされました。

自分は今、日本の災害からは遠く離れた安全な場所にいて、
安穏としているような気分に苛まれもしましたが、
息せき切って帰った所で何の足しにもならないのも事実。

今はただ一日も早く、皆さまに落ち着いた生活が戻ることを祈っています。

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