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アルマティの勇者 [カザフスタン]

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上の写真は、アルマティで出会った柔道家。
“オレはアルマティ・バートル=アルマティの勇者”だと言っていた。
おお、バートル!普通に使うのか、と驚いた。

勇者・英雄を意味する「バートル」の語は、
モンゴル語、テュルク語のみならず、
ペルシアや南アジアへも形を変えて拡散しているみたいだ。
ネパールで仲良くしていた人の名前も「バハドール」だったし。
(南アジアへはムガル帝国経由で入ったのだろうか。→ムガル帝国の前記事
モンゴルの首都は言うまでも無く、ウランバートル=赤い英雄。
ウズベクのサマルカンドの名物宿は、ボホディールだし。
匈奴の冒頓単于の「冒頓」は、
この語「バートル」 の音写だったと言う話もある。


それに、カザフでは、アミール・ハンとか、テミール・ハンとか、
「ハン」の付く名前の人にちょくちょく会った。
「チンギス・ハン」のハンですね。
古くは鮮卑の頃から、遊牧世界で王を意味した「ハン」の名称は、
モンゴル帝国以降、帝国領内に広まった。
「ハン」もまた、南アジア方面に流入していた。
ボリウッドの人気俳優は3「カーン」。
シャルク・カーン、サルマン・カーン、アミール・カーン、だし。

「ハン」の称号は、チンギス家の流れを汲む者のみに許されたが、
時代が下るに連れ、血筋に関係なく名乗るようになる。
今では皆が仲良く名乗っているから
「ハン」の称号も民主化が進んだってことかな。

さて、
最初に日本を出たのが2008年12月3日。
丸2年の間、ぐるぐると色んな場所をほっつき歩いて、
色々な人に出会ってきました。
フトした所で、遠く離れた場所同士でも、何かしら繋がっているものがある。
そんなものを見つけた時に、自分は嬉しく感じるようです。

もう2010年も暮れようとしてますが、良いお年を!
来年も皆様にとって良い年でありますように。



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テミール・ハンさん。カザフスタン、アラルスクにて。



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何とか・カーン君。インド、アグラにて。
タージマハルの街アグラには、ムスリムが多く住む。



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バハドールさん。ネパール、カトマンズにて。













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シムケント発の野盗タクシー

ウズベキスタン側タシケントまで
最短の国境であるジベック・ジョルは、第三国人は通れない(10年2月当時)。
2番目の国境へも行ってみたが、ここもダメ。
ここで確定したのは、
ヤッラマーという200km離れた国境まで行かなければダメだということ。

今、国境にいるためタクシーの数には困らない。
500テンゲとオファーして来た車に乗る。
白いBMW。
しばらくして運転手の他に2人乗ってきた。
顔に傷がある。音楽を大音量でかけている。窓がスモークだ。
“これは・・・”と思ったが、
大きなリュックはすでに車のトランクの中。
降りるタイミングを逸した。

200km離れていると言うヤッラマー国境へ向け、延々進む。
そのうちに、500テンゲ(≒340円)ではなく、
500,000テンゲ(≒340000円)だと言い始めた。
んな法外な。
当然ごねる。
が、ゴネても聞く相手ではないと悟り、
返答を避けたり、条件を呑んだフリをしてみたり、
車から去ろうとしてみたり、等々、のらりくらりとしてみる。
が、肝心の荷物が後ろのトランクに質に取られている。

ヤッラマーはあの丘の先だ、という地点で、いったん停止。
全員、車の外に出る。「金を出せ」と、三人に囲まれた。
拒否していると、拳を突き出してきて、ファイティングポーズを取ってきた。
周囲は見渡す限りの大草原、人は皆無、羊が見えるのみ。なす術も無し。 
ポケットに入れてた3600テンゲ(≒2400円)を渡す。
実際、持っていたカザフの金はこれで全部だった。
が、向こうは納得しない。

一応、最終手段として、国境に着いたとき、国境警備員に泣き付いてみた。
が、警備員も3600テンゲじゃ少ない、とのたまう。
結局、最終交渉で100ドル。
高くついたものだ。

シムケントは“野盗の街”として有名らしい。
この街で強盗に遭ったという話をその後、幾度か聞いた。  
奪われた最高金額は6000ドルという。

【反省点】
・タクシーの客引きは沢山いたのだから、もっと慎重に選べたはず。
・値段は複数人に聞くべし。最安値を探るのではなく、相場を探るべし。
 人をたくさん巻き込むべし。
・進むだけでなく、立ち止まること、時には退くことも念頭に置くべし。
 先を急ごうと思ったのが、運の尽き。
・ダメ、と思った瞬間の直感は大事。
 (今日の場合、最初に車に乗り、2人余計に乗ってきたとき)
・荷物は最小限に限る。



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記念撮影と称してぱちり。シャッターを押す直前にナンバープレートを隠された。















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もののあはれとシムケンと

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シムケントは坂の多い、くすんだ街だ。
あまつさえ、訪れた時には曇っていた。
カザフ西南部で最大の街というシムケントを、僕は、
何か面白いものを見つけてみようと思いつつ一日中ほっつき歩いた。

はじめてアイルランドのダブリンを訪れた時、
なぜか「東欧的」だと感じたが、
曇天と、くすんだ色の建物、それでもなお、
ポップな色づかいでちょっと自己主張している建物たちが、
物悲しい感じで、いじらしくもあった。

とはいえ、こういう何も無い街で、何かを探してみようと歩き回っても、
結局、何も見つからなかったりするもの。
一日歩きながら、頭の中を巡っていたのは、
シムケント、しむけんと、しむけん、志村けん、
という下らない駄洒落だけ。
それもまた、物悲しい。「もののあはれ」の「あは」の部分かな。
そういえば、日本語の「は」行は、古代「ぱぴぷぺぽ」、
中世「ふぁふぃふふぇふぉ」と発音したらしいが、
平安の頃はどっちだったのだろうか?
「もののあぱれ」よりも「もののあふぁれ」であってほしい。





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カザフスタン鉄道の旅

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国土の広いカザフスタン
国内の移動は鉄道が便利です。
 
3等の寝台車(プラツカルト/Плацкарт)は、一番ぎゅっと詰め込んだ車輌ですが、
ドア無コンパートメントに二段ベッドが二台、
通路側にも二段ベッドがずらっと並びます。これはインドと同じ方式かな。
自分が乗り慣れた中国鉄道の硬臥(下等寝台)は3段ベッドですが、
これと比べると、だいぶゆったりしています。
 
どれだけ広いものか?
ひとくちに「広軌」と言っても各国異なるみたいなので、
ちょっと調べてみました。

インド 1676mm
旧ソ連 1520mm
中国  1435mm (wikipediaより)

おっと、実はインドが広かったんですね!



※以下は、参考までに僕が使った区間の料金・時間です。

アスタナ > アルマトゥ(アルマアタ) 
 1/8 20:05発 > 1/9 15:37着 
 鉄道2等寝台(クーペ/Купе) 4100テンゲ

◆アルマトゥ(アルマアタ) > アラルスク 
 1/29 15:27発 > 1/30 22:21着
 鉄道3等寝台(プラツカルト/Плацкарт) 4088テンゲ

アラルスククズルオルダ 
 2/1 0:03発 > 同日 7:03着
 鉄道3等寝台(プラツカルト/Плацкарт) 2788テンゲ

クズルオルダトゥルキスタン 2/1 13:06発>同日 18:20着
 鉄道3等寝台(プラツカルト/Плацкарт) 816テンゲ


 ※カザフスタン鉄道HP・時刻表
  ↓
 https://pcentre.kz/ktz2/proc?pa=clients


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2等寝台(クーペ/Купе)。
ベッドが革製。コンパートメントはドア付き。



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こちらは3等寝台(プラツカルト/Плацкарт)。
ドアで仕切られること無く、通路側にも縦にベッドが並んでいる。



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「カザフスタン・テミール・ジョル」は、直訳して「カザフスタン・鉄・道」となる。
アルマトゥ駅にて。

















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大集合!カザフ人 [トゥルキスタン]

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ヤサウィー廟の中でいきなり中国語で話しかけられた。
巡礼者の多く訪れる聖地だけに、無料ガイドがいるらしい。
ここに日本語のガイドはいないとのこと。ありがたく解説を聞かせてもらった。

廟を出て、ぷらぷらしていると、また中国語で話しかけられた。
「どこから来たのか?」と中国人同士が旅先でするように尋ねられた。
いや日本人だけど、君は?と聞くと、
ウルムチ出身のカザフ族で、この街の大学に留学しているのだという。
この街のアフメド・ヤサウィ大学はトルコ政府によって建てられ、
留学生が多く、中国籍カザフ族も約80人。
その他、トルコ、ロシア、アゼルバイジャン、トゥルクメニスタン等、
テュルク系諸国からの留学生が多いようだ。
彼ら学生3人組としばらく一緒に行動した。
そのうちの一人、この街に実家がある学生が家に誘ってくれたので、
家にお邪魔し、茶やお菓子をご馳走になった。
 
二人して街へ戻ると、三たび、中国風の若者に声を掛けられた。
その彼に誘われるまま、お店へ。
新疆烏魯木斉飯店(新疆ウルムチ食堂)にお邪魔した。
ここで、お茶やラグマン、ナンをご馳走になる。
ご両親ともお会いした。良い家族だと思った。

ご両親は5年前こちらへ移民してきたが、
それまではウルムチ近郊の遊牧民だったという。
土地も広くはなかったので羊は100頭程。
それを全部売り払って、こっちへ来た。
19歳の息子は高校卒業とともにこちらに呼び寄せたが、
21歳になる長女は今も、ウルムチの美容美髪の学校へ行っている。
親父さんの兄と弟もこちらへ来るつもりだが、あちらに仕事がまだある。
親父さん自身は牧民だったので、来れたのだと言った。

こちらへ移民した理由を尋ねると、「故郷の土地」だからだ、と言う。
1920-30年代、祖父の代に一族はこちら側から中国側へ移住したのだ。
だから、来たのではなく、帰って来たのだ、というニュアンスだった。
 
ここの麺は「手工作」だ、と親父さんは自慢げに語り、作る手順を教えてくれた。
生地をこねたり、寝かせたり、伸ばしたり、手でパンパンと打ってコシを出す。
うまいはずだ。料理の種類はカザフ、ウイグル、中華と色々ある。
商売はどう?と聞くと、今の商売は、悪くない。

マンガ「ナルト」が好きだという19歳の息子は、
韓国人はやっぱりきれいか?とか、日本人は賢いから好きだ、などと言う。
そのうちに客が増えてきた。その度に彼は立ち上がって、注文をとる。
「君も料理をするのか?」と聞くと、
料理は両親がやる。僕はただの服務員さと笑った。
高校を卒業してから、こっちへ移住し、3年になるとのこと。

会話中、彼は「搬国」という言葉を何度も発した。
搬国=異なる国に移り住むということ。
大変だった、と言ったり、君も移住したことがあるか?と聞かれたりしたが、
そんな受け答えの一つ一つよりも、その言葉が発せられた回数が心に残った。
色々な角度から考えてみて、自分の状況を噛みしめているようだった。
彼の中では、割り切れない気分がまだあるのだろうか。



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最初に会った学生たち。右が中国のカザフ人、中央と左はカザフのカザフ人。



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ナルト好き。中国の都会っ子らしい感じ。



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久々の新疆式ラグマン。(麺・大250テンゲ、茶1ポット70、ナン1枚30)



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カザフ族は20カ国以上に分散している。
中国のカザフ族をはじめとして、独立国家カザフスタンに戻ろうという動きが広くある。
中国には200万人以上。カザフ人は他言語を操るのが多いんだそうな。



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