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サマルカンドのタクシードライバー



サマルカンドのタクシードライバー。

夜ほっつき歩いてたら、撮ってくれと言われた。
この町の人は皆、ずいぶん人懐っこい。
レギスタンの警備の警官も(賄賂払えば)安く入場出来るよ、と声を掛けてくるし。
なんだかのんびりしてる。




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サマルカンド建築案内 第四回 【シャーヒ・ズィンダ】





シャーヒ・ズィンダ。

アラブ・イスラム帝国の侵攻後、この辺りはイスラム化が進むこととなった。
預言者ムハンマドのいとこクサムは当地まで布教に訪れたが、異教徒によって殺された。
が、クサムはしかし実は生き続けている、という言い伝えが、
まことしやかに流布するようになり、この地は聖地となった。
ペルシア語で「シャーヒ・ズィンダ」=生ける王と呼ばれる所以である。









後にティムール一族の廟もこの地に建てられることとなり、
あたかも繁華な街のように壮麗な廟が立ち並ぶ。









聖地ゆえ訪れる人も正装だ。









廟の中の装飾も綺麗です。
無数にある廟は、外も内も各々が凝った造り。
日光東照宮を思わせるような壮麗な趣がある。







青は、青の都サマルカンドのイメージカラー。


ここはサマルカンドで一番綺麗な場所かもしれない。
と思ったのは、
サマルカンド最後の日に訪れたからかな。





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「サマルカンド建築案内」
第一回 【アフロスィヤーブの丘】 
第二回 【ティムール建築】    
第三回 【レギスタン】      

緑町ってリアルに実家の住所っぽい [シャフリ・サブズ / ウズベキスタン]

ティムールの生まれ故郷にして、副首都だったシャフリ・サブズへ、
サマルカンドから日帰りで行ってきました。


ペルシア語で shahr-i-sabz →「町 of 緑」だから、
和訳すると「緑町」ですか・・・

語感的に大幅にスケールダウンしますね・・・ 
無かったことにしときましょう。

あ、緑が「sabz」ってインド方面へ行った方にもお馴染みの響きかもしれませんね。
ちなみにこの町はUNESCOの世界遺産に登録されています。







サマルカンドからシャフリサブズへは岩がちの山を越えていきます。
なかなか絶景続きなのです。









アミール・ティムール像。
ウズベク内に何体あるのかな? 
僕はこことタシケント、サマルカンドで見ましたが。









すると、女の子が走ってきた。










アク・サライ=「白・宮殿」は、チムールの夏王宮。高さ65mの門跡が残る。
東京の超高層ビル第一号ホテル・ニューオータニ(17階・72m)が完成したのは1964年。
600年も後のことだ。









アクサライの門がどれだけ大きいかというと、こんな感じ。
人がプラモデルの戦艦大和に乗ってるかろうじて人型してる人みたいです。









この門の上に登ることが出来ます。









バザール附近。中心部はなかなか賑わってます。









ザ・ウズベク! という感じのおばちゃんたちが行商してます。
ここでは、ひよこがたくさん段ボールに入って売られてました。









バザールでトマトを売るおばちゃん。









と、おばちゃんの娘か親戚でしょうか? どうでしょう、鑑定団のみなさん。
(バザール神経衰弱についてはこちら→ぽち









キャラバン・サライ。









表通りを南下すると大きなドームが見えてきます。









ここ、コク・グンバズ・モスク=「青いドームのモスク」は、
4代目ウルグ・ベクが父である3代目シャー・ルフに捧げた金曜モスク。









廟内の装飾。サマルカンドでよく見かけるものよりも落ち着いた意匠が多い。










ご、ごめん。何も買わなくて...  これは土産物を売っていた女子。









ダールッ・サーダット建築群の中にジャハーン・ギル廟がある。
ここは、チムール最愛の長男ジャホーン・ギルを葬ったところ。
今、天井には鳩が住んでいる。









隣にあるのは、ハズレティ・イマーム・モスク。
古い聖者を奉ったモスクは、木の柱が印象的。
こういうスタイルは、東トルキスタンのカシュガルや、
タジキスタンのイスタラヴシャンでも見た。








仲良し二人組。









後ろに見えるのがジャハーン・ギル廟。

そして、この入口から地下へと潜ると、









チムールの棺があります。

チムールは実際にはサマルカンドのグーリ・アミールに葬られているので、これはあくまで棺。
この棺には、二体の身元不明の遺体が発見されているという謎。





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サマルカンド建築案内 第三回 【レギスタン】



サマルカンドの代名詞、レギスタン広場。
三つのマドラサ(神学院)で構成される。


左 ウルグ・ベク・マドラサ
中 ティリャー・コリー・マドラサ
右 シール・ダール・マドラサ


最初から組で建設されたわけではなく、左、右、中の順で建てられた。
最初のものは、その名の通りティムール朝・第4代君主ウルグ・ベクによるが、
後者二院はティムール朝も途絶えて久しい17世紀のもの。

増築という行為はしばしば無茶なものだが、これほど素晴らしい景観を生み出したのは見事。

なお、レギスタンとは「砂の場所」というペルシア語だ。
タシケントがペルシア語で「石の町」、サマルカンドもソグド語で「石の町」だから、
なんだか乾いたイメージだ。









遠くから眺めるも、近づいて見るも、どちらも良し。
青を基調としたタイルの装飾が見事です。









見事な装飾のドームの内側は、正面のティリャ・コリー・マドラサ附設モスク。









シール・ダール・マドラサは、正面右手の建物。
ペルシア語でシール・ダールとは、ライオン・有る を意味するから、
「有獅院」とでも訳せるのだろうか。
偶像崇拝を禁じるイスラムの建築にあっては珍しい意匠かもしれない。
のち、イランで同じようなデザインを見ることになる。




ところで、これスゴイです。オススメです。
以前、古写真で見たサマルカンドの様子が良いなと思っていたのですが、
次のサイトで、ロシアの写真家セルゲイ・プロクジン=ゴルスキーによる
「カラー」古写真を見ることが出来ます。
氏は、1910年のロシア革命でパリに亡命するまで、
ニコライ2世の支援も受けてロシア各地でカラー写真を撮影したらしい。
20世紀初頭のカラー写真! 凄いですね。
 ↓
http://www.thespektator.co.uk/spg2.html
(サマルカンドは70~87ページ)



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「サマルカンド建築案内」
第一回 【アフロスィヤーブの丘】 
第二回 【ティムール建築】    

サマルカンド建築案内 第二回 【ティムール建築】

第二回は、サマルカンドの諸建築の中でも、
初代ティムールが建てたものに絞ってお伝えします。

ティムールの建築の特徴を言うならば、デカイ。 

その一言に尽きます。





ビビ・ハヌム・モスク。
この中央アジア最大のモスクは、正真正銘ティムールにより建てられたもの。
大きすぎるからだろうか、正面の大門の改築は進んでいないようだ。

新築のように改修されているサマルカンドの諸建築の中でも味のある建築。

スィヤーブ・バザールは市内中心にある大きな市場だが、
このモスクに近接していて、上の写真のちょうど右側が市場だ。
逗留していたB&Bバハディールからバザールへ行くのに、
この前を毎日通ったのだが、あとで見るとこのモスクを撮った写真はこれだけだった。
あまりに溶け込んでしまうと写真を撮ることも忘れてしまうようだ。
それだけに生活に近い場所に建っているモスクと言えるかも知れない。
モスクの裏には昔ながらの家並みが広がっている。









グーリ・アミール。
とは、アミールの廟という意味で、
もちろんアミール・ティムールを指す。

当初ティムールは戦死した孫のために建てたが、
わけあって自身が葬られることとなった。
初代ティムールののち、3代目シャー・ルフ、4代目ウルグ・ベクも眠る。
2代目はかなり問題児だったので、ここにはいない。





きらびやかなドーム内。
最初の写真でお分かりのように、ドームを円筒で伸ばしたような作りが、
ティムールの好みだったようで、これがサマルカンドの建築の特徴にもなってる。

なお、グリ・アミールの一枚目の写真の左方には、住宅街が広がっているが、
数年前に建てられたという塀によって遮断された状態になっている。
居住者のための出入り口は、ある。
おそらく、当局としては旧住宅街は観光客に見せたくないという理由で
塀の向こうに隠してしまったのだろう。
どうも、サマルカンドの町全体にそういう為政者の思想が見え隠れする。
歴史的建造物が相互の連繋を断たれ、ポツーン、ポツーンと寂しく独立して点在している町、
という印象がぬぐえないのがサマルカンドの残念な点。
これは人為的になされたことなので、文句を言ってみても構うまい。







R0014762

おまけ。ホジャ・アフマド・ヤサウィ廟(カザフスタン・トゥルキスタン市)。
こちらもティムールによる建築ということで掲載します。
この廟の周囲というかこのトゥルキスタンの町には高い建物が皆無なため、
一際目立つ巨大な建築物に見える。
この町に着いて初めて目にした時の衝撃は忘れられない。
(→詳しくは、ぽちっ



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