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パミールの祝い事  [タジキスタン・ホルーグ]

冬訪れたときに景色が良かった場所まで、山肌を伝って登ってみた。
雪化粧の時は水墨画の世界で、雪崩の音が響き渡る谷には妙味があったが、
春の景色はあまり迫力が無いもんだ。
そんなことを思っていたら、そのうち近くで音楽が聞こえてきた。

音を辿って一軒の家の門まで来ると、
おじさんが、入れ入れ、と誘う。
誘われるがままに入っていくと、屋敷の中では大人数の大宴会が催されていた。
この家のおじいさんが70歳の誕生日を迎えたそうな。
親戚、ご近所が大勢集まって皆でお祝いの最中だった。

呑む、食う、歌う、踊る、、、

ここらの人は老若男女踊り好きだ。





party in khorog tajikistan
踊ります。





party in khorog tajikistan
食います。





party in khorog tajikistan
おじいさん70歳ですって。





party in khorog tajikistan
老いも、





party in khorog tajikistan
若きも、踊ります。





party in khorog tajikistan
みんな楽しそう。おめでとう。





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5月9日の春うらら  [タジキスタン・ホルーグ]





ホルーグ。
冬来たときは、水墨画の世界だった。
白と黒とその中間だけの色。


春は良いものだ。色がある。
が、着いて早々、街全体がお祭り気分で華やいでいたのは、
別に季節だけが理由ではない。


その日は5/9。
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が終結した日。
この「大祖国戦争」に勝利した日はソビエト連邦では重要な日だったのだ。


タジキスタンの辺境ホルーグ。
タジキスタンはソ連で一番貧しい共和国だったという。
ホルーグはまた「ソ連」の辺境でもあった。
独立後は、モスクワからの補助もなくなったのだから、
ソ連時代に輪をかけて貧しくなったとも言えるだろうか。


この町にはレーニン像が往時のまま建っており、
ソ連時代のことを懐かしく語る人も多い。


5/9の記念日もここらの人々にとっては、
当たり前のように連続しているものなのかも知れない。
子供たちは記念日に寄せて絵を書き、
若者たちは擬製の銃を持って叫んでいる。
無垢で無邪気な行いのようだ。


これだけ見たら、時間が止まっているかのようにも感じる。


でも、たとえば道路などのインフラに目を転じれば、事情は違う。
最後に改修されたのがソ連時代なのでは?というものも多い。
それらは確実に年々すり減っていて、今やデコボコ道ばっかりだ。


時計の針は着々と進んでいて、蝕まれるものは蝕まれていて、
それでも、人の考えはなかなか変わらなかったりするのだろうか?







春ですね。







学校の課題で5月9日について描くのだろう。右の方は出征者の顔写真がずらりと並ぶ。







町中がお祭り気分。







市場の肉屋のおじさんは、こちらが日本人だと分かると、
懐かしそうに、兵隊時代は潜水艦乗りでオホーツク海を巡回していたのだと語った。







町の中心にはレーニン像が何事もなかったかのように建っている。ここは町役場だったかな? 







春ですね。







うらーーー!!!





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束の間のパーティ  [タジキスタン・ホルーグ]





ホルーグに着くと、
サマルカンドで会った、韓国人のジン、シンガポール人モーゼの二人と合流した。

ホルーグでは、冬に来た時にも泊まったパミールロッヂへと、まず赴いた。
前日、満室だったようで、半屋外の東屋みたいなスペースに二人が寝ていたのだ。

彼ら2人も合流し我々4人で、ワハンを目指すこととなった。



イスラエルのニルは、この旅の直前までロンドンで2年ほど働いていた。
それに加え、モンゴルと中国へ長旅をした事があるという彼とは、話が合った。
サマルカンドでは毎晩ビールを数本リットル開け、
冗談ばかり言っているうちに仲良くなった。
サマルカンド滞在中に彼が誕生日を迎えたので、
ケーキを買って祝ったら、いたく感激してくれた。
話をしてて、さすがイスラエル人賢いな、と思わされることも多いが、根は純粋なのだ。
物売りに声を掛けられたときも「ヨック。ハイル。(いいえ。さよなら。)」と、
ただ二つ知っているウズベク語で返す。無骨な男なのだ。



韓国のジンは、中国で数年働いていた。
その後、旅に出た彼は、南米を巡ってから、アフリカを北上し、
シルクロードを通って韓国を目指していた。
英語は今回の旅の途中で話せるようになった、という彼は、
英語の会話ばかり続くと、たまにフラストレーションが溜まるようだった。
でも、南米アフリカと、全く異なる文化圏を歩いてきた彼は、
すぐに現地民と打ち解けられるようだった。いや、それは性格なのか?
感情と表情が直結しているような気持ちの良い性格なのだ。
彼は良い写真を撮る。
3つの大陸を歩いてきた彼のカメラがボロボロに汚れていたのは、印象に残っている。
ブラジルでは、いきなり後ろから角棒で殴られ、数人に殴る蹴るされたが、
カメラを握る手だけは離さないでこらえた、と苦労話をしてくれた彼が、
中央アジアが一番難易度が高い、と、ため息をついた時には意外に感じた。
(→ジンのブログ



そして、モーゼスはシンガポール人の学生だ。
両親がそれぞれ中華系と印度系。シンガポールの縮図のような血筋だ。
とっても社交的。
あらゆる国籍が集まっていたサマルカンドの宿でも、
初対面だろうが誰彼かまわず、笑顔でさらりと話しかける。
ああ、さすがシンガポールと思った。
僕が、“シンガポール人の旅人に会うことは珍しいな。
最近の若いシンガポール人はこんな旅をするの?”と率直に聞いたら、
“全くいないよ” と答えた。
彼はイスタンブルからシルクロードを辿って国を目指すルートで旅してたが、
出発前に、親御さんから日程表の提出を命じられたという話をしてくれた。
実際に見せてもらった日程表には何月何日どこの街に滞在する、と、
ツアーの日程表もかくやと、うなるほどに細かい予定が6ヶ月分記されていた。



三者三様。



いや、自分も入れて、四者なのか。
自分はどのように記憶されているのだろうか?



冬にタジキスタンを訪れたときは、
だいぶ気合を入れないと進む気になれなかったので、
旅は総力戦だなぁ、なんてふと思ったのを覚えている。

人それぞれ得手不得手はあるわけで。

取引を有利にする交渉力だったり、
愛想良く人と仲良くなる力だったり、
言語を駆使する力だったり、
ごりごり押し進む気力・体力だったり、
色んなものを組み合わせて、その人なりの旅のスタイルが出来上がるようだ。



一人旅ってのは、独りでしてるから、
そんなスタイルがいつしか硬直化してマンネリするのは避けられないのだろうな。
人のふり見て我がふり直せ、と言うのは、こういう時のためにある言葉かも知れない。

たまにはパーティを組んで行くのも面白いものだ。









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ドゥシャンベ中華網  [タジキスタン]





4度目のドゥシャンベは、
サマルカンドの宿で意気投合したイスラエル人の旅人と訪れた。

いつもは、市内中心部に泊まっていたのだが、
今回は趣向をかえて市北のツェメント・ザヴォート方面へ行く途中の
ワルゾーブ・バザール近くの宿に泊まった。
旅行会社も兼ねているここの宿のオーナーはタジク人だが、
日常的なことを任されているのは、中国人の女の子だった。

宿近くの交差点には大きな中華料理屋もある。
同行の友人は中国を旅したことがあり、中華のファンだ。
覗いてみようということで店に入り、
店員に挨拶をしてメニューを見せてもらった。
賑わっている店内の喧騒が一瞬遠ざかり、二人して目を合わせた。
(た、たかい…)
店員に対しては 「う、うまそうだね。今度食べに来るよ」 なんて
中国人っぽいメンツの保ち方をなるべく心掛けて、店を後にした。

結局、交差点向かいの半屋外のレストランで、ケバブとショルポをいただいた。
タジク人と言えども呑む人はウォッカで乾杯してる横から流れるアザーンの声を聴きながら。



ドゥシャンベでやらなければいけないのは、
バダフシャン自治州への入境許可証を取得すること。

二日目さっそく中央オヴィール(外国人登録事務所)へ赴いた。
一通りの手順をクリアし、窓口へたどり着いたが、
50ソモニと言われた。手数料は5ソモニと聞いていたから10倍だ。
なぜそんなに高いのだ?と声高に訊ねると、
いやなら結構、と、権威主義の権化のような表情で言われ、
その後は取りつく島もないような始末。
(ああ、そうか、今のは個人的な賄賂の要求だったのか。
 大声出したのがマズかった…)
と気付いた時には時遅し。

仕方がないので、他のオヴィールを当たることにした。
この辺の役所での申請方法はだいたい同じみたいで、
最初の受付で要件を言い、手数料(印紙代)を払うと、
請求書を代書してくれ、次の窓口を指定してくれる。
最初の受付は行政書士のような役割なのだろう。

ここでも最初の手順は難なくクリアし、
受付で指定された窓口へとおもむいた。

並ぶほどの人間もいないので、(簡単だ)と思ったのもつかの間、
窓の向こう側には人がいるにも関わらず、こちらに対応しようとしてくれない。
閉じていたり休憩中の訳でないのは、横から入ってくる人に対応しているので明白。
意図的に無視されているようだ。
(ここも賄賂なんだろか? 
いや、しかし、そうだとしたら金額くらい言うだろ。訳が分からない。)

現地人に聞いてみても、じゃあっちの窓口だと言うだけだ。
一応トライしてみる。 
ってことで、窓口①と④を何度往復したことやら。
しかし、何度トライしてもダメなものはダメだ。



友人がそのうち気を利かせて、英語が話せる人を路上で見つけてきてくれた。
中国人の学生だった。
ウルムチ出身の彼は、医者の父とともに、ロシアやタジキスタンに暮らして久しく、
ロシア語堪能。今はドゥシャンベの大学に学ぶ、という。
彼の話を聞いているうちに、許可証のことそっちのけで、
ウルムチにはこんな国籍無用な人間が育つのだなあ、と妙に感心してしまった。

彼の登場で助かったのは、英語が通じるということ以上のものだった。
彼はオヴィールに知り合いがいると言って、その知り合いに掛け合ってくれた。
また、友人の車を呼び出し、これまた他の事務所へ一緒に行き、掛け合ってくれた。

こういう時の中国人のネットワークは非常に助かる。
ネットワークの上に一度乗ってしまえば、全てが円滑に進む。
しかし、中国では何度も世話になったものではあるが、ここタジクでまさか、という感じだったが。

タジク人の友達がウルムチの彼に、
「中国と日本はあれなんじゃないのか?」とこっそり聞いていたのが聞こえた。
(本来は仲が悪いんじゃないの?と聞いているのが分かった)
彼は、いやまあ、こういう時はね、と流していた。
「こういう時」
ただ路上でいきなり頼みこんだだけなのに。





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イロのある世界  [タジキスタン]





春に再訪したタジキスタン。
山は緑で、花は紅い。

車が山を越えていく。
車窓から眺める景色だけでも飽きない。
ふだん花を愛でる習慣は無いのだけど、
よく詩に歌われる春の息吹とはこういうことなのかな。
咲き乱れるポピーは綺麗だった。

道は険しく渓流を沿って進み、たまに集落が現われる。
その全てが風景画に収まっているような姿でたたずんでいる。

こころにすーっと染み込んでくる。
雪山も悪くはなかったが、
やっぱり色が必要だ。







青い空、緑の平原、赤い花。







谷沿いを進んでいるとたまに集落が現われる。
たいがいの村が緑に豊かに囲まれている。






車窓からとっさに撮った羊飼い。後で見たらカメラ目線だった。







こういう景色にぐっとくるのは、ただの偏愛なんでしょうか。



さて、ウズベキスタンとタジキスタンを何度も行き来してますが、
今日から数回、春に再訪したときのタジクの様子をお伝えします。



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