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「中国人自己的」60周年 (その2)

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「狙撃手」というTVドラマをみた。
「抗日戦争」モノのドラマだ。
これは中国の戦争ドラマのイメージを塗り替える出来ばえだった。

かつて良く見た戦争モノはひどかった。
「バカヤロー」とか「ミシ、ミシ(飯、飯)」とか、
決まった言葉を連発したり、変なゆかたを着ていたりと、頭の悪そうな日本兵が登場し、
それ正義の紅軍がやっつけるという、至極単純明快、勧善懲悪的なものだった。
数年前8月15日前後に中国に滞在したときには、
TVをつけると全部のチャンネルでこうした戦争モノを放映していたことがある。
おかげで、こちらが日本人と分かると、
笑顔のまま「バカヤロー」と挨拶されたこともあった。

で、件の「狙撃手」。
何が違うかって、日本兵がカッコ良いのだ。
粗筋は、日中両側の狙撃手がライバルとして長い戦いを繰り広げるというもの。
(実際、放映回数も長い。20数話あったけか。)
日本側の狙撃手は「芥川君」。
これがなかなかの強敵で、中国側の狙撃手は何度も窮地に追いやられる。
まあ、最後はヒーローである中共八路軍の狙撃手が勝利をするわけだけど。

しかし、かつて頭の悪いアホな日本兵達としか描かれていなかったのが、
ここでは、ちゃんとした言葉を話し、感情を持っていて、
時には上官の命令に悩んだりする、一つの人格として描かれている。
国と国、軍と軍の戦いというよりも、人と人。
個人にクローズアップしている。
人が見える。人のやったものという視点がある。

頭の悪い兵隊がバカヤローと叫んでいるような、間違った悪イメージ。
何でも「の」を付ければ良いと思っていた、これまた間違った善イメージ。
それを乗り越えて、好敵手として描かれるようになった。
これからは、より実像に近い形で日本を捉えて来るのだろう。


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▼youtube画像より


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「中国人自己的」60周年 (その1)

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北京の吉野屋で牛丼を食べた。
中国の吉野家が日本と違うのは、
牛丼とコーラのセットが基本になっていること。
個人的には、その食い合わせに魅力に感じなかったので、
牛丼だけ頼んでみた。

「牛肉飯」標準盛17.5元(240円相当)。
日本で言うと大盛りサイズ。
カウンターで頼むと、それがトレイに載って出てくる。
マックやKFC等ファストフード店で共通のシステムだ。
そして、トレイと丼の間に自家広告紙が挟まっているのも同様。
その広告紙をみるに、こちらの吉野家は、
「中国人自己経営的」というのを売りにしているようだ。
“中国人自身が経営してますよ”ってことですね。

「中国人自己的」=「中国人自身の」。
順調な経済発展を遂げながら建国60周年で沸きかえる中国、
自信を持ちはじめているのだろう。
広告の文句一つ取っても、そうした自尊心に訴えるものじゃないといけない。

かつて中国では街中の看板や商品名に、ひらがなの「の」を使うものをよく見た。
清涼飲料水「1000のC」とか、精力剤「蟻の千」ならまだしも、
まったく意味の通じないものも、よく見た。

日本で“bitch”と胸に大きく書かれたTシャツを着た女子について、
否定的な記事が新聞に載ったのはいつだったか?
我々とて、英語なら何でもカッコの良いものとして、
無批判に受容していた時期がごく最近まであったのだ。

いずれにしても、外来の先進文化に対する憧れがそうさせるのだ。

さて、還暦を迎えた中国。
自信を持ちはじめた中国。
かつてほどには「日本印」だけでは通用しなくなっている。

(→次回つづく)



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みんなウキウキ、幸せそう。

天津のカップル

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街を歩いていると遠くで盛大な爆竹の音がした。
駆けつけてみたら結婚式でした。
お幸せに~

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撮影: PENTAX K20D + PENTAX-DA★ 16-50mm F2.8

天津きらきら

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[PENTAX K20D + PENTAX-DA★ 16-50mm F2.8]


天津は、今まで訪れた中国の街の中で一番キレイだ。
路上にゴミや異臭がない。のはもちろん、
キレイな建物、こざっぱりしたファッションで道行く人。
おしゃれな感じだ。

だいたい「港町」って響きがズルイ。
日本でも、函館、横浜、神戸、長崎とか、
「港町」には、洗練された響きがある。

長崎は別としても、これらの街が開港したのは、19世紀のこと。
産業革命を経て強大化した大陸の西の果ての国々が、
汽船でぐるっと周って、インド中国を侵し、極東の日本にもやってきた。
文明開化の鐘の音。

とはいえ、いまや客船が用済みになりつつある時代だから、
港町には“かつて”匂っていた文明開花の残り香をかぐだけか。

東西文化の交流が、陸路によってなされてた頃、
「シルクロード」が東西の人や文物を運んだが、今や歴史遺産でしかない。
海運で栄えた港町の多くもその機能を変えている。
空路なのだ。現代は。飛行機は速い。
東端の東京から西端のロンドンまで、10時間もあれば着く。
でも。そうした速さや便利さゆえに抜け落ちるものもあるんじゃないか?
飛行機は、距離や速度を実感しながら進むには速すぎる。


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燕京号 (神戸~天津)

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[PENTAX K20D + PENTAX-DA★ 16-50mm F2.8]


中国行きの船に乗るのは三度目。

一度目は、2003年の10月。
その時も「シルクロード」を目指したものの、
広い中国に引き込まれ、季節が冬に変わった。
雪の少林寺で風邪を引き南下、人に勧められるまま東南アジアへ行った。

一つの街から他の街へと移動する。
その街で、自分が来た方向以外の街から来た旅行者と出会う。
方位を8方に分けただけでも、自分の知らない街が7ヶ所はある。
その7つの方角の話を、他の旅行者から聞く。
そうして、行きたいと思った方向へ行く。
何の制約も無い、行き当たりばったりの旅。
そんな旅の仕方に自由を感じ、満足していた。

二度目は、昨年の12月。
今回こそ、「シルクロード」をベストの季節に通りたいと思い、
南方で越冬するスケジュールを立てた。
それも骨折などで予定は遅れた挙句、
祖父の訃報で日本へ帰国した。

ふたたび、振り出しに戻る。

シルクロードへ突入するのは、また冬になる。
昔から冬に行くと決まっていたのかも知れない。



[メモ]
燕京号フェリー 大阪~天津(塘沽)、22000円。
 神戸~上海行きの船ほど乗客はおらず、比較的閑散とした感じ。
・塘沽→天津は2時間ほど。バス乗り継ぎで計8元程度。タクシー150元程度。


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日本の思い出

2010.06.20 ▲日本
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2009年8月3日

「白い服も着させたいと思って買ったのに。
 全然着なかったんだねえ。」
5段のタンスには、ほとんど着られないまま眠っていた衣服でいっぱいだった。
おじいちゃんの終の棲家となった老人ホーム。
母と伯父と三人で訪れた。
母がタンスの中の衣服をたたみながら、涙声でつぶやいた。
枕元には、6月末に僕がバラナシから送った絵葉書が一枚置かれていた。

元気だったおじいちゃん。
つい2年ほど前まで、一人で旅行に出ていた。
山梨から長野を通り、金沢まで行った。
そこで荷物を置き忘れ、お遍路のとき痛めた足も動かなくなった。
荷物を忘れた時、本人は覚えていなかったという。
それから気力が無くなってしまったのか。

一昨年の夏には家族総出で山梨の温泉にも行った。
一人で金沢まで行ったのは、その後のことだ。
昨年から急激に気力を無くしてしまった。

僕の生まれた歳に建てた家を引き払い、老人ホームへ移ったのは昨年のこと。
母はちょくちょくホームに通い、身の回りの世話をした。
衣服や時計、雑誌などをおじいちゃんのために持っていった。
今日訪れた主を失った部屋も、物の数こそ少ないながら、
おしゃれだったおじいちゃんのためそろえられた衣服や、
簡単な操作ができるラジオ、
おじいちゃんの好きそうな本や雑誌で溢れていた。
何度も通ったのだ。母は。
元気になってもらおう、楽しませよう、と願いながら。

6月末にバラナシから出した手紙。
枕元に置かれていた手紙。
7月半ばには届いたという報告をもらった手紙。
手紙が届いてから、たったの2週間。
早すぎる、と思った。間に合わなかった。

飛行気乗りだったおじいちゃん。
小学生の頃一緒に旅行をしたおいじいちゃん。
戦争中、追撃されて海に落ち、上下ひっくり返った機体から出るときに、
ハッと気付いて、ドアノブを上に押し上げたら開いて脱出できた、と語った。
その後、陸に上がってから吸った一本の煙草がうまかった。当時、19歳。
夜の大山を目標に見ながら飛行訓練をした話。
話を聞いているだけで、
夜、大山、飛行機、自分、が想像でき、気持ちが広がった。
上海で飛んだときに、揚子江がとてつもなく広かったと言った。
広すぎて、海と河口の境目が分からないくらいだった。
上海には「ガーデンブリッジ」があると、僕が中国に行く前に教えてくれた。
実際に上海に訪れると、
「ガーデンブリッジ」は周囲の発展から取り残されたように残っていた。
上海語で「煙草を下さい」という言い方を覚えていた。
北京語とは違う言い方だったので、上海語だと思った。
60年前の上海のことをよく覚えていた。若いときを過ごしたからなんだろう。
中国に行く前には、あまり深入りするなよ、と忠告された。

小学生の頃、一緒に旅行したときに、
岡山辺りの電車の中で、老人に席を譲らないとね、と大声で喋って、
席に座っていた若い女性が泣いてしまった。
遊園地に行き、ジェットコースターに乗ったとき、
全然なんともない、と平然としていた。
飛行気乗りだったから当然か。

妹二人と自分とおじいちゃんの4人で山陰、山口、愛媛まで車で旅行をした。
免許取立てだった僕が運転をし、初日に米子まで行った。
助手席から、運転の仕方を口うるさく言ってくるおじいちゃんが、
その時は疎ましかった。
山口の湯田温泉に泊まった時、他お客さんが、
きれいな東京弁だと感心していた。

バスタオルを片手に甲子園を見ながら、おじいちゃんはよく涙していた、と母に聞いた。

朝の遅い僕がまだ布団の中で寝ているとき、
おじいちゃんはよく足を揉んでくれた。昔はつばを眉毛に付けることもした。
うっとうしいとも思ったけど、今はとても懐かしい。
そんな仕草もずいぶん前に已んでしまった。
あの頃は、おじいちゃんは元気だった。

おじいちゃんは達筆だった。
僕が小学生の頃から持っているグローブには、
僕の名前が大きく立派な毛筆で書かれている。
今日、老人ホームの部屋に残されたノートの文字を見ると、揺れていた。
2年ほど前からだろうか。ちょくちょく送ってくれた手紙の文字が揺れ始めたのは。
少しずつ、少しずつ、自由が利かなくなってしまったのだ。
おじいちゃんは、そんな自分を許せなかっただろう。
何でも完璧にそつなくこなすことをモットーにしていた。
幼い頃「早めし、早ぐそ、早仕度」とよく言われたものだった。

僕らがロンドンにいる時、僕は書く手紙ごとに、
おじいちゃんにマンガ本を送って欲しいとねだった。
キャプテン翼やキン肉マンの新刊が出る度に送ってもらった。
日本に一時帰国するたびに、和室の柱に背丈を書いてくれた。
あの頃、自分の成長を知る尺度はあの柱だけだった。

むかし一学期分だけ、我孫子の学校に通った。
我孫子の家に寝泊りして、歩いて通った。
その頃は、おじいちゃんと生活をしていた。
その頃は、おばあちゃんも家にいた。

僕が10歳のとき、家族はイギリスから日本に帰国した。
1989年のこと。
程なくして、我孫子のおばあちゃんは亡くなった。
もう20年も前の4月のことだ。

おじいちゃんは、おばあちゃんと一緒によく旅行をしていた。
おばあちゃんが亡くなった後、僕と一緒によく旅行をした。
四国や九州へ行った。
関東への帰り道、行きたいところはあるか?と聞かれた。
あまり思い付かなかったので、鈴鹿と答えた。
二人で、鈴鹿の伊藤のおばさんのところを訪ねた。
焼香を終えた仏壇の前で、おじいちゃんとおばさんが話していた。
男の人はなかなか忘れられないんですよね、と。
どちらが言ったのかは、忘れた。でも、二人とも合点がいっていた。
そう、だったのだろう。

おばあちゃんが亡くなって、20年。
それから、おじいちゃんは何を求めていたのだろう?
今日訪れた老人ホームの部屋に残された財布の中、
旧い白黒の写真が2枚入っていた。
一枚は、双子である母と伯父の子供の頃が写っている。
もう一枚は、おばあちゃんと子供の頃の双子が写っている。
写真の角は擦り切れてしまっていた。
何年の間、そうやって離さず身に着けていたのだろうか。
何度、その写真を眺めたのだろうか。
一人で旅した金沢へも、その写真を持っていったのだろうか。
分からない。けど、
亡くなった後に見た、おじいちゃんの財布の中には、
その二枚の写真が収まっていた。





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東京

2010.06.19 ▲日本
東京タワー2


東京です。
長旅の途中に寄った東京は、いつもと異なる空間でした。



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金曜報告

2010.06.18 ・雑記帳
皆さま、こんにちわ。
わたくし現在、イランのヤズドです。
本日金曜日はイスラムの礼拝日なので街が静かです。

さて、長らくネット環境が悪く、ブログの更新が遅れていました。
え、今インドじゃないの?と思った方、誤解させて申し訳ない。

ここイランはなかなか発展しているので、
ことネットに関しては心配無さそうです。

ということで、今後しばらくの間、
二日に一回位のペースで更新して行きたいと思いますので、
ちょくちょくのぞいてやって下さい。
今後の更新は次の通りです。

日本→中国→キルギスタン→カザフスタン→ウズベキスタン
→タジキスタン→トゥルクメニスタン→イラン

それでは。どうぞよろしくお願いします。


仕立屋

オールド・マナーリ

マナーリの家



マナーリの村は、ネパールっぽい。
山間にあり、石積みの家々が建つ。
人々の服装もネパールっぽい。
とはいえ、ネパールは多民族の寄合い所帯なのだから、
何をもってネパールっぽい、というかは微妙だが。

マナーリで泊まった宿のマネジャーもネパール人っぽかった。
気さくなよく喋る男だった。
インド最後の思い出は、この「ネパール人」だった。

7/30 朝、宿をチェックアウト。
 同時に宿のマネジャーに頼んでダラムサラ行きのチケットを購入。
 昼、ネット屋でメールをチェックした時、祖父の訃報に接する。
 宿へ戻り、ダラムサラ行きをキャンセルするとともに、
 デリー行きのチケット手配してもらう。
 夕方17:00のバスでデリーへ向かう。
8/1 朝、デリー着。ホテルPAYALのマネジャーに航空券の手配を依頼。
 そのまま夜の飛行機でデリー発。
8/2 関空着。

あっと言う間に、今回の旅の第一部終了。
最後の最後までネパール人にお世話になった気がする。


マナーリ女の子


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