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アルマティの勇者 [カザフスタン]

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上の写真は、アルマティで出会った柔道家。
“オレはアルマティ・バートル=アルマティの勇者”だと言っていた。
おお、バートル!普通に使うのか、と驚いた。

勇者・英雄を意味する「バートル」の語は、
モンゴル語、テュルク語のみならず、
ペルシアや南アジアへも形を変えて拡散しているみたいだ。
ネパールで仲良くしていた人の名前も「バハドール」だったし。
(南アジアへはムガル帝国経由で入ったのだろうか。→ムガル帝国の前記事
モンゴルの首都は言うまでも無く、ウランバートル=赤い英雄。
ウズベクのサマルカンドの名物宿は、ボホディールだし。
匈奴の冒頓単于の「冒頓」は、
この語「バートル」 の音写だったと言う話もある。


それに、カザフでは、アミール・ハンとか、テミール・ハンとか、
「ハン」の付く名前の人にちょくちょく会った。
「チンギス・ハン」のハンですね。
古くは鮮卑の頃から、遊牧世界で王を意味した「ハン」の名称は、
モンゴル帝国以降、帝国領内に広まった。
「ハン」もまた、南アジア方面に流入していた。
ボリウッドの人気俳優は3「カーン」。
シャルク・カーン、サルマン・カーン、アミール・カーン、だし。

「ハン」の称号は、チンギス家の流れを汲む者のみに許されたが、
時代が下るに連れ、血筋に関係なく名乗るようになる。
今では皆が仲良く名乗っているから
「ハン」の称号も民主化が進んだってことかな。

さて、
最初に日本を出たのが2008年12月3日。
丸2年の間、ぐるぐると色んな場所をほっつき歩いて、
色々な人に出会ってきました。
フトした所で、遠く離れた場所同士でも、何かしら繋がっているものがある。
そんなものを見つけた時に、自分は嬉しく感じるようです。

もう2010年も暮れようとしてますが、良いお年を!
来年も皆様にとって良い年でありますように。



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テミール・ハンさん。カザフスタン、アラルスクにて。



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何とか・カーン君。インド、アグラにて。
タージマハルの街アグラには、ムスリムが多く住む。



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バハドールさん。ネパール、カトマンズにて。













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シムケント発の野盗タクシー

ウズベキスタン側タシケントまで
最短の国境であるジベック・ジョルは、第三国人は通れない(10年2月当時)。
2番目の国境へも行ってみたが、ここもダメ。
ここで確定したのは、
ヤッラマーという200km離れた国境まで行かなければダメだということ。

今、国境にいるためタクシーの数には困らない。
500テンゲとオファーして来た車に乗る。
白いBMW。
しばらくして運転手の他に2人乗ってきた。
顔に傷がある。音楽を大音量でかけている。窓がスモークだ。
“これは・・・”と思ったが、
大きなリュックはすでに車のトランクの中。
降りるタイミングを逸した。

200km離れていると言うヤッラマー国境へ向け、延々進む。
そのうちに、500テンゲ(≒340円)ではなく、
500,000テンゲ(≒340000円)だと言い始めた。
んな法外な。
当然ごねる。
が、ゴネても聞く相手ではないと悟り、
返答を避けたり、条件を呑んだフリをしてみたり、
車から去ろうとしてみたり、等々、のらりくらりとしてみる。
が、肝心の荷物が後ろのトランクに質に取られている。

ヤッラマーはあの丘の先だ、という地点で、いったん停止。
全員、車の外に出る。「金を出せ」と、三人に囲まれた。
拒否していると、拳を突き出してきて、ファイティングポーズを取ってきた。
周囲は見渡す限りの大草原、人は皆無、羊が見えるのみ。なす術も無し。 
ポケットに入れてた3600テンゲ(≒2400円)を渡す。
実際、持っていたカザフの金はこれで全部だった。
が、向こうは納得しない。

一応、最終手段として、国境に着いたとき、国境警備員に泣き付いてみた。
が、警備員も3600テンゲじゃ少ない、とのたまう。
結局、最終交渉で100ドル。
高くついたものだ。

シムケントは“野盗の街”として有名らしい。
この街で強盗に遭ったという話をその後、幾度か聞いた。  
奪われた最高金額は6000ドルという。

【反省点】
・タクシーの客引きは沢山いたのだから、もっと慎重に選べたはず。
・値段は複数人に聞くべし。最安値を探るのではなく、相場を探るべし。
 人をたくさん巻き込むべし。
・進むだけでなく、立ち止まること、時には退くことも念頭に置くべし。
 先を急ごうと思ったのが、運の尽き。
・ダメ、と思った瞬間の直感は大事。
 (今日の場合、最初に車に乗り、2人余計に乗ってきたとき)
・荷物は最小限に限る。



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記念撮影と称してぱちり。シャッターを押す直前にナンバープレートを隠された。















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もののあはれとシムケンと

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シムケントは坂の多い、くすんだ街だ。
あまつさえ、訪れた時には曇っていた。
カザフ西南部で最大の街というシムケントを、僕は、
何か面白いものを見つけてみようと思いつつ一日中ほっつき歩いた。

はじめてアイルランドのダブリンを訪れた時、
なぜか「東欧的」だと感じたが、
曇天と、くすんだ色の建物、それでもなお、
ポップな色づかいでちょっと自己主張している建物たちが、
物悲しい感じで、いじらしくもあった。

とはいえ、こういう何も無い街で、何かを探してみようと歩き回っても、
結局、何も見つからなかったりするもの。
一日歩きながら、頭の中を巡っていたのは、
シムケント、しむけんと、しむけん、志村けん、
という下らない駄洒落だけ。
それもまた、物悲しい。「もののあはれ」の「あは」の部分かな。
そういえば、日本語の「は」行は、古代「ぱぴぷぺぽ」、
中世「ふぁふぃふふぇふぉ」と発音したらしいが、
平安の頃はどっちだったのだろうか?
「もののあぱれ」よりも「もののあふぁれ」であってほしい。





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カザフスタン鉄道の旅

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国土の広いカザフスタン
国内の移動は鉄道が便利です。
 
3等の寝台車(プラツカルト/Плацкарт)は、一番ぎゅっと詰め込んだ車輌ですが、
ドア無コンパートメントに二段ベッドが二台、
通路側にも二段ベッドがずらっと並びます。これはインドと同じ方式かな。
自分が乗り慣れた中国鉄道の硬臥(下等寝台)は3段ベッドですが、
これと比べると、だいぶゆったりしています。
 
どれだけ広いものか?
ひとくちに「広軌」と言っても各国異なるみたいなので、
ちょっと調べてみました。

インド 1676mm
旧ソ連 1520mm
中国  1435mm (wikipediaより)

おっと、実はインドが広かったんですね!



※以下は、参考までに僕が使った区間の料金・時間です。

アスタナ > アルマトゥ(アルマアタ) 
 1/8 20:05発 > 1/9 15:37着 
 鉄道2等寝台(クーペ/Купе) 4100テンゲ

◆アルマトゥ(アルマアタ) > アラルスク 
 1/29 15:27発 > 1/30 22:21着
 鉄道3等寝台(プラツカルト/Плацкарт) 4088テンゲ

アラルスククズルオルダ 
 2/1 0:03発 > 同日 7:03着
 鉄道3等寝台(プラツカルト/Плацкарт) 2788テンゲ

クズルオルダトゥルキスタン 2/1 13:06発>同日 18:20着
 鉄道3等寝台(プラツカルト/Плацкарт) 816テンゲ


 ※カザフスタン鉄道HP・時刻表
  ↓
 https://pcentre.kz/ktz2/proc?pa=clients


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2等寝台(クーペ/Купе)。
ベッドが革製。コンパートメントはドア付き。



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こちらは3等寝台(プラツカルト/Плацкарт)。
ドアで仕切られること無く、通路側にも縦にベッドが並んでいる。



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「カザフスタン・テミール・ジョル」は、直訳して「カザフスタン・鉄・道」となる。
アルマトゥ駅にて。

















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大集合!カザフ人 [トゥルキスタン]

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ヤサウィー廟の中でいきなり中国語で話しかけられた。
巡礼者の多く訪れる聖地だけに、無料ガイドがいるらしい。
ここに日本語のガイドはいないとのこと。ありがたく解説を聞かせてもらった。

廟を出て、ぷらぷらしていると、また中国語で話しかけられた。
「どこから来たのか?」と中国人同士が旅先でするように尋ねられた。
いや日本人だけど、君は?と聞くと、
ウルムチ出身のカザフ族で、この街の大学に留学しているのだという。
この街のアフメド・ヤサウィ大学はトルコ政府によって建てられ、
留学生が多く、中国籍カザフ族も約80人。
その他、トルコ、ロシア、アゼルバイジャン、トゥルクメニスタン等、
テュルク系諸国からの留学生が多いようだ。
彼ら学生3人組としばらく一緒に行動した。
そのうちの一人、この街に実家がある学生が家に誘ってくれたので、
家にお邪魔し、茶やお菓子をご馳走になった。
 
二人して街へ戻ると、三たび、中国風の若者に声を掛けられた。
その彼に誘われるまま、お店へ。
新疆烏魯木斉飯店(新疆ウルムチ食堂)にお邪魔した。
ここで、お茶やラグマン、ナンをご馳走になる。
ご両親ともお会いした。良い家族だと思った。

ご両親は5年前こちらへ移民してきたが、
それまではウルムチ近郊の遊牧民だったという。
土地も広くはなかったので羊は100頭程。
それを全部売り払って、こっちへ来た。
19歳の息子は高校卒業とともにこちらに呼び寄せたが、
21歳になる長女は今も、ウルムチの美容美髪の学校へ行っている。
親父さんの兄と弟もこちらへ来るつもりだが、あちらに仕事がまだある。
親父さん自身は牧民だったので、来れたのだと言った。

こちらへ移民した理由を尋ねると、「故郷の土地」だからだ、と言う。
1920-30年代、祖父の代に一族はこちら側から中国側へ移住したのだ。
だから、来たのではなく、帰って来たのだ、というニュアンスだった。
 
ここの麺は「手工作」だ、と親父さんは自慢げに語り、作る手順を教えてくれた。
生地をこねたり、寝かせたり、伸ばしたり、手でパンパンと打ってコシを出す。
うまいはずだ。料理の種類はカザフ、ウイグル、中華と色々ある。
商売はどう?と聞くと、今の商売は、悪くない。

マンガ「ナルト」が好きだという19歳の息子は、
韓国人はやっぱりきれいか?とか、日本人は賢いから好きだ、などと言う。
そのうちに客が増えてきた。その度に彼は立ち上がって、注文をとる。
「君も料理をするのか?」と聞くと、
料理は両親がやる。僕はただの服務員さと笑った。
高校を卒業してから、こっちへ移住し、3年になるとのこと。

会話中、彼は「搬国」という言葉を何度も発した。
搬国=異なる国に移り住むということ。
大変だった、と言ったり、君も移住したことがあるか?と聞かれたりしたが、
そんな受け答えの一つ一つよりも、その言葉が発せられた回数が心に残った。
色々な角度から考えてみて、自分の状況を噛みしめているようだった。
彼の中では、割り切れない気分がまだあるのだろうか。



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最初に会った学生たち。右が中国のカザフ人、中央と左はカザフのカザフ人。



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ナルト好き。中国の都会っ子らしい感じ。



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久々の新疆式ラグマン。(麺・大250テンゲ、茶1ポット70、ナン1枚30)



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カザフ族は20カ国以上に分散している。
中国のカザフ族をはじめとして、独立国家カザフスタンに戻ろうという動きが広くある。
中国には200万人以上。カザフ人は他言語を操るのが多いんだそうな。



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カザフスタンの世界遺産 [トゥルキスタン]

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トゥルキスタンへ来ると、風景がだいぶ変わった。
列車を降りホームに着いた瞬間、そこかしこで串焼を焼いている煙がたちこめ、
話し掛けてくる人も何だかなれなれしい。
なんというか、「アジア的」な雰囲気なのだ。
カザフ北部のステップ地帯とは異なり、ここまで来るとオアシス都市だ。
 
トゥルキスタンの街はまた、多くの巡礼者を集める聖地である。
それがホジャ・アフマド・ヤサウィー廟である。
ここはカザフスタンの世界遺産第一号としても知られるが、
12世紀に活躍したスーフィーであるホジャ・アフマド・ヤサウィーは、
中央アジアのテュルク系遊牧民のイスラーム化に貢献した人物。
ヤサヴィーがテュルク語で書いた宗教詩は、のちに、
アナトリア、バルカンにまで及ぶテュルク世界全域で愛唱されたという。
 
とはいえ、自分が最初ここに興味を持ったのは、
ティムール建築としてのものだった。
このヤサウィー廟は、1389年にティムールの手により建設が始まったが、
建設半ばにして1405年ティムールが死去したため、
ティムール建築の典型例が当時のまま残っているのだ。
ウズベキスタンへ入る前に、こちらを見て置くべきかなと思ったのだ。

「チンギスハンは破壊し、ティムールは建設した。」と言われる。
実際にはティムールもかなり破壊しているのだが、
本拠地においては、間違いなく建設した。
しかも、彼は築いた大版図の至る所から工人を動員したので、
数々のイスラム建築の傑作を残すことが出来た。
このヤサウィー廟もペルシャからの建築家による設計で、
特にミナレット部分は、ホージャ・ホセイン・シーラーズィーの設計と伝わる。
イランのシラーズ出身の設計者だったのだろう。

成り立ちからして、インターナショナルなこの廟は、
今なお各国からの巡礼者を集めている。
ということで、次回、カザフ人大集合の巻。




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正面。



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建築途中で終わった様子がわかる。



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後ろからの方が、タイルがキレイ。



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拡大。


 
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ぴかぴか。



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とにかく大きい!ここのドームは中央アジア最大のドームを持つ。



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城壁の上から。












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三都物語 [カザフスタン]

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カザフスタンの地名ってカッコいいんですよね。
“ガラガンダ”とか、“ジェズカズガン”とか、なんだか勇ましい感じ。
濁音が多いからなのかな?
クズルオルダに立ち寄ったのは、響きにひかれたのもあるかも。
でも、一時期首都だった街がどんなもんか?見てみたかったのだ。


ロシア革命後にカザフ人達が民族共和国を得てからというもの、
カザフスタンの首都は転々としている。

1920年 オレンブルグ (のち街自体がロシアへ帰属変更)
1925年 クズルオルダ
1929年 アルマティ
1997年 アスタナ

北西端のオレンブルグ→中央部クズルオルダ→東南端アルマティ、と
ロシアから「文明化」が及んできたルートと重なると言えるだろうか。
  
その昔、カザフステップには、
小ジュズ、中ジュズ、大ジュズと呼ばれる部族連合体があったが、
それぞれ順々にロシアの支配下に入っていった。
最初、西北部の小ジュズが1731年にロシア傘下に入り、
最後、東南部の大ジュズが1865年に併合されているから、比較的ゆるやかな流れだ。
面白いことに、ロシア革命後、首都所在地も
上記のように西北部から東南部へと流れていった。
中心が移動する、というのは、古来の遊牧国家的な特徴を思い起こさせて面白いが、
現実的に、現在に至るまでなお部族意識が強いカザフスタンにあっては、
部族間のバランスを適度に取るため必要な施策でもあったのだろう。

さて、クズルオルダ。
テュルク語で、クズル=「赤」、オルダ=「王宮・軍隊」。
そのまま「赤軍」と訳せるこの街は、ロシア革命後の一時期カザフスタンの首都だった。 
「赤軍」=クズルオルダという名の首都が、この地に置かれたのは、
革命家のほとんどが、小ジュズ出身者だったことも理由にあるのだろうか。
 
ただ、いかんせん首都としてのクズルオルダは短命に終わった。
しかも、もう80年以上も昔のこと。
今では、地方の普通の街という佇まいでしかないが、
落ち着いた街の雰囲気が気に入った。





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クズルオルダ駅。




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淡い色使いが心地よい。




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四角い建物と四角い車とパイプライン。




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伝説の英雄コビランディ・バートル(Kobylandi batyr)像。




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劇場、だったかな。




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モスク




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大祖国戦争記念碑




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大きな建物は、それほど多くない。




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歩く人もそれほど多くない。




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店。




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郵便局。




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かわいらしい




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ここにもパイプラインが。




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結構ものものしい。




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もいっちょ




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食堂の兄ちゃんと出入りの業者さん














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好きか?嫌いか?なんて簡単に言えないよ。この町。 [カザフスタン、アラルスク]

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アラルスクの町から夜行列車で離れるため、夜遅くに駅に着いた。
駅前でタバコを吸っていると、笑顔で警官が近づいて来て、駅舎内の交番へ来いという。
世間話から始まった。お前はサムライか?どこから来た?どこへ行く?など、
笑顔で色々聞いてきたが、そのうち「マネー」と、要求してきた。
罵倒してやりたい気持ちを抑えて、
「マネーって何?」英語の分からないフリをした。
ふと、昨晩ここに着いた時に世話を焼いてくれた、
あの警官のおっちゃんがいたら良かったのに、と思った。

「一人か?」と問われ、分からないフリをする。続けて、聞いてきた。
「こちらは三人だ。お前は一人か?」と。これは威嚇か?
一人じゃ三人には、かなわないだろ。降参しろ。って言っているのか、こいつは。
となると、こちらは一人だなんて言ったら不利になるのか。
ひとまず、この国で連絡先を聞いた全員をカウントして応えた。
はて、向こうの三人目は誰だろう、と見回してみると、
奥の方にいるのは、昨日の親切だった警官おっちゃんじゃんか。
ナゼ黙って仕事しているフリなんかする?沈黙の共犯者か?
 
しばらくして、今度は警官らの友達らしいのが新たに三人やってきて、
僕に興味を示した。
雑誌を開いて「これは日本車だろ。いくらだ?」などと、どうでも良いことを聞く。
発車までまだ時間があると言って、行かせてくれない。
やっと発車の10分前、チンピラ警官の彼女らしい女がきた隙に、脱出。

ひとまず売店で飲み物を買う。
そこにいた男が「ホテルは見つかったか?」と聞いてきた。
昨日の夜、ホテルを探し歩きまわっていた時、
一団になっていた若い連中に尋ねたが、その内の一人だろう、
男は仲間たちに対して何かを言った。すると、店内の若い男女が大爆笑した。
(そんなに面白いか?)
よほど暇な奴らだ。
ヘンなよそ者が一人来ただけで笑いの対象になるのだろう。平和な町だ。
むなくそ悪い。
この街を、とことん嫌いになる条件が、この時そろったわけだ。

汽車が来た。
駅舎からホームへ出るドアが開いた。
チンピラ警官が彼女と一緒に歩いている。
さっきのことなど何も無かったかのように。こちらに手を振って来る。
ホームをしばらく歩くと、
昨日の親切おっちゃん警官がいた。僕を誘う。
さっき賄賂を要求されている時には無言だったおっちゃんが、
「ついて来い!」と列車の入口まで誘う。
「こいつは日本人だ。もう時間も無いから、ここから入れてやれ」
「ダメだ」車掌は拒んだ。
「旅行者なんだ、良いだろう」
「ダメだ」と車掌。
おっちゃん、それなら「こっちだ」と言って走る。
後ろを走る自分を振り返りつつ、「着いて来い!」と走る。
3~4輌分も先に走ったとこが、僕の乗る車両だった。
ドアが開いてない。
ドンドンドンドンとたたく。必死でおっちゃんはたたく。
ロシア人の乗務員が出てきた。
「こいつは日本人なんだ。よろしく頼む」と渡りを付けてくれ、
握手。「ダバイ!」と言い交わし、別れた。
ステップを上がりきって振り返ると、おっちゃんはもういなかった。
ありがとう。



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この町が漁業で栄えていた頃のものだろう。青い海をバックに漁師が表彰されている様子が描かれている。
駅舎の待合室にて。



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アラル海の縮小とともに漁業・加工関係の工場は潰れたそうだ。
今では、線路沿いの小さな駅のある小さな町だ。



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「チャイはどうだ?」
そんな小さな町で写真を撮ったりしていると、声を掛けられお茶に誘われたりする。



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「お茶」と言っても、食べ物もたんまり出て来る。ご馳走さまでした。













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死滅してゆく海

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カーン、カーン、カーン、
ひと気の無い雪原に響き渡っている。
錆びた船の残骸をツチで打つ人が独り。鉄クズを売るのだろうか?
音だけが、だだっ広い海の亡き骸の中に響き渡る。

元アラル海を歩いてみた。
海が干上がり、むき出しになった海底は、見晴らす限りの雪原。
海だったと知らなければ、ただの雪原と思っただろう。
が、港だった旧岸には船も置いてあり、
雪原の真ん中にもさびきった船の残骸がポツンと取り残されている。
 
足元でサクサク音がする、と思ったら、
貝殻がたくさん落ちていた。いや、落ちているのではない。
かつて、そこを生きていた無数の貝たちが、
干上げられ、地表に出て、果てただけだ。
元来、そこが貝たちの生き場所だったのだ。
凄い。
人間はここまでのことが出来てしまう生き物なのだ。





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未来世紀アスタナ

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[アスタナ中心部]



石油やガス等の天然資源で好景気に沸くカザフスタン。
この国の活気を感じるには首都アスタナに行かない手はない。

“世界でもっとも美しい街の一つ”を目指した、
トルクメニスタンのアシュガバードは、
故ニヤゾフ大統領が精魂込めて建てた建築群で名高いが、
ここアスタナも負けず劣らず、オモシロ建築であふれた街だ。
とはいえ、アスタナがさほど認知されていないのは、
カザフ元首ナザルバエフが、ニヤゾフほど目立った行動に奔っていないからであろうか。


アスタナの街の主要な部分は、
北の鉄道駅&バスターミナル前の地域から
河の南側に超現代建築が集まるエリアまでと、広くはない。
 
一日、宿泊した駅前から南へ向かって散歩してみた。
まず眼に付くのは、大通り沿いに設けられた、ぶっといパイプライン。
旧ソ連の街では、インフラ管は地下に埋められておらず、
剥き出しのままの姿を見ることは多いが、ここのは殊更にぶっとい。
この国のガス資源の豊富さを誇ってでもいるのだろうか。
なんて思ってたら、これは実は水道管なのだそうな。

さて、気になる見所の超・現代建築エリアには、
カザフ人達の誇る魂の塔、バイテレクがそびえ立っている。
この塔、ワールドカップの形をしているが、
ワールドカップ予選では欧州枠に移ったカザフスタン。
現実論として、本大会への出場チャンスは遠ざかった気もするのだが・・・
ま、そんなことは勢いづいているカザフっ子達には関係無いのだろう。

塔を中心として東西には、広い100m道路を彷彿させる道路がはしる。
この東端に大統領府、西端に国策石油・ガス会社(Kaz Munay Gas)の本社ビルが控える。
その姿は、この国の権力の源泉を象徴していて、頼もしい限りだ。

その他にも街中は、黄金色に輝くガラスに覆われた高層建築、
学習院大学を彷彿させるガラス製のピラミッドなど、
興味をそそる建築にこと欠かない。

とはいえ、とにかく寒かった・・・
アスタナっ子も出歩かないこの日、
聞いた話では最低気温は-30℃を下回ったそうな。
いまだ建設途上のアスタナの街。
いつか、じっくり完成形を見て見たいものです。



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巨大なパイプライン。




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パイプラインは道路の上も走ってゆく。




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下段・黒部分、橋。
中段・白部分、凍結した川。
上段・建物、おそらく高級マンション。




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さりげなく金。




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なんか知らんが、金。
しかし、カメラを出すのも嫌なくらい寒い。 5秒もすると手が痛む。




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アスタナ三銃士。ごめんなさい、誰だか分かりませんので・・・




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さすがに景気の良い国の首都。ゴージャス。




R0014323
ツリーがある。クリスマスツリーではありません。
ソ連圏では宗教を禁じられてた名残でクリスマスは祝わないが、それらしい祝い事をする。




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アスタナの街には、ショッピング・モールが多い。
冬場の待ち歩きには重宝する。中は暖かいのでシェルター代わりになるのだ。
少し歩いては、次のショッピングモールへ逃げる、ということを繰り返した。
っていうか、外は-30℃以下だって。寒すぎ・・・
皆、車で移動するみたいで、徒歩の人はほとんど見かけなかった。




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スーパーで見つけたカラシニコフ型ウォトカ。お値段 38,850テンゲ≒2万6000円。
カザフ人は、よほどお金の使い道に困っているものと見える。




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ロシア風の建物。このゴーリキー・ロシア劇場では、




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こんな出し物をやっているらしい。
カザフスタンの人口の40%はロシア人だ。




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カザフ人はムスリムだ。
ミナレットの高さが63mもあるこのモスクは、カタール首長の喜捨で建てられたという。




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中心部のワールドカップ型のこの塔。実はカザフの古い伝承にまつわるデザインだと言う。
昔々、サムルクという鳥が、金の卵を産んだそうな。
卵には実は、人間の欲望や幸福についての秘密が隠されていたのです。奪われたら大変です。
そこで、人間の手の届かないように、高い高いポプラの木の上に卵を置きましたとさ。
鳥、金の卵、、、なんか遊牧的ですね。半島の新羅にもこんな伝説なかったかしら。
そうか!街の建物に金色が多かったのは、だからだったのか。




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塔の西側にそびえるのが、国策資源会社 Kaz Munay Gaz のビル。
カザフスタンの大黒柱ですね。




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塔の東側には大統領府。アク・オルダ=白い宮殿の名称で親しまれている。
それにしてもここ、ビル風が吹き荒れ寒かった。。、。
寒いので腕で顔を覆っていたら、自分の息の水蒸気で頬が凍結した。
頬が凍った、頬が凍った、頬が凍った!我が事ながら驚いた。
寒さとは、こういうことだったのか!
そろそろ引き時だ、とその時思った。




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スターリン様式のビルヂング。側に近づくのも億劫だった。だって寒すぎです。




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あたしも、




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僕も、アスタナっ子!  ス~~!!




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アスタナの市章。何かに似てるような・・・




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夕食はマンティとボルシチ(465テンゲ≒3ドル)。
湯気が立つ料理を前にするだけで、ほっとする。
が、物価の安いキルギスから来ると、値段と味が釣り合っていない。




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アスタナの鉄道駅。イルミネーションが、ある。
後で聞いたら、強盗多発地帯らしい。
“あいつらマジで殺してでも奪うよ”と聞かされ、ひょえ~




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駅舎の中。切符売り場は混み合っていた。
機械で整理券を受け取って、しばらく待ってからやっと買える。
この時、窓口で助けてもらった国鉄社員にお呼ばれしてお宅訪問。
茶や食べ物をご馳走になった。
まだ25歳ながら鉄道会社の経理の傍ら中古車販売で儲けている彼は、大邸宅に住んでいた。




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でも、僕はここに泊まっているんだ。戻らなければいけない。止めるな友よ。
と、帰って来たはバスターミナルの宿。一泊1500テンゲ≒1000円。




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アスタナからアルマティまでは鉄道で。




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コンパートメントの中、




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コンパートメントで一緒だった夫婦。
僕が日本人だと知ると、旦那は奥さんのことを指して
「スモウ!スモウ!」と嬉しそうに連呼した。















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南旅館@ビシュケク・キルギス

2010.12.21 ▲キルギス
R0014506



ビシュケクには南旅館という、とても良い宿がある。
お値段も、中央アジアでTOPクラスの安さ。1泊150ソム≒300円。
といって、ここは、宿とても宿らしからぬ、団地の一室にある。
その中のニ部屋ほどを旅行者のために開放している、
計10人ほどが泊まれる、ささやかな宿だ。

ここは、非常に居心地の良い宿だった。
これはなにも、自分が幼い頃、団地に住んでいたから、とか、
団地マニアだから、という言う訳でもない。

ソ連式の団地内は、ガス、電気等のインフラが整っているので
シャワーのお湯に困ることも無いし、
セントラルヒーティングが完備しているので、
室内は、真冬でもむしろ暑がりの自分は暑いくらいだった。
また団地内には、店も並び、食料品、日用品はそこでそろうし、
10分も歩けば、オルトサイ・バザールへ出れる。
周辺環境もグー。

それより、なにより、台所を自由に使わせてくれるのが嬉しい。
久しぶりに自炊をした。

ここはもともとナンチャンとあだ名されてるヌルダン氏が始めたが、
本人は今アフガニスタンへ働きに出ているようで、
そのお母さんにあたる方が切り盛りしている。
アパは上品で可愛らしいお婆さんだ。

最初は、これから行く国々のビザ取りのための長逗留。一ヶ月が過ぎたが、
そのうち居心地が良すぎて、また一ヶ月。まとめて二ヶ月滞在した。
いやっ、本当に良い宿でした。



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普通の団地の中の一室です。



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カルボナーラを作った。キルギスは物価が安いので一食分の材料費40円くらい。
パスタ700g 27ソム≒60セントくらい。



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トマトソースのパスタ。肉を使わないと更に安いかな。



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ほかにも、トンカツを作ったり(って、便乗しただけですがね)



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ビーフストロガノフを作って頂いたり、



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美味しいものを食べまくりのビシケクでした。












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遊牧キルギス人と馬  [カラコル / キルギス]

2010.12.20 ▲キルギス
家畜市が開かれるというので、日曜日にあわせて行ったのが、ここ。
キルギスの東部、ウスク・キョル(湖)の東端にある街、カラコル。

家畜市場はカシュガルでも見たが、
そちらは牛、羊、ラクダ、馬、ロバなど様々な動物が取引されていたのに比べ、
こちらカラコルのは、馬がメインのようだった。
そして、さすが遊牧民らしく、立派な体格の馬が多い。




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ここらの馬は立派だ。カシュガルで見た馬と比べても一回りデカイ。
さすがは遊牧民族キルギス。



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市は大賑わい。馬と人がひしめいている。




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牛も見かけたが、




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この家畜市では、ほとんどが馬!




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そして、やっぱりデカイのだ。









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熱海をぐるっと一周  [キルギス]

2010.12.19 ▲キルギス
キルギスの東部にある湖ウスク・キョルは、キルギス語で“暖かい湖”を意味するが、
文字通り冬でも不思議と凍結しないのだという。
古くは三蔵法師・玄奘も訪れ、「熱海」と漢語に訳している。

ビシケクから湖の東端のカラコルへ、行って帰った。
行きは湖の北岸を、帰りは南岸沿いを通った。

カラコルの近くの山には、アラシャン温泉がある。
冬のこんな時期こそ、ゆったりと温泉につかりたいものだが、
冬場は歩いていくのは難しいと言うので諦めた。
かわりに湖の水に足を突っ込んでみた。
凍っては無いものの頭がキーンとなる冷たさだった。




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ウスク・キョル南岸のタムガより。




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湖の水は透き通っている。裸足で入ってみたが、水温は極めて冷たかった。




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馬と大草原、雪山。




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カラコルの街は何だか寂しい。ソ連風の田舎町といった風情だ。




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カラコルの街のロシア教会。




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ロシア教会は木造だ。日曜日はロシア人のおば様の小団体がお祈りに訪れていた。




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カラコルの街は広々としている。




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古い車を良く見かける。ロシア車、ドイツ車がほとんど。80年代製のアウディが多かった。




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こちらにも。




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バザール。




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バザール。




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カラコルの宿、ヤクツアー(ヤクトゥール)の部屋は豪華。300ソム。




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ヤクツアーのおばちゃんは、よく喋る気さくな人だった。




[メモ]
ビシケク(西バスターミナル)
 ↓(マルシュ250ソム、7.5時間)
カラコル
 ↓(マルシュ100ソム、1.5時間)
タムガ
 ↓(マルシュ50ソム、40分)
ボコンバエフ
 ↓(乗合タクシー150ソム、4時間)
ビシケク















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キルギスのビール

2010.12.18 ・呑みくらべ
寒い季節はウォトカなどの強い酒を重宝するが、
しかも、この国ではウォトカが安い。最安40ソム≒90円。コーラより安い。
が、それだけではさすがに飽きる。

そんな時は、これ ↓


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ドカーンとペットボトルに入ったビール。
その名も“ナシ・ピーヴァ”=我らのビール!




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ちなみに、こちらは別バージョン。
ナシ・ピーヴァ「クラシックバージョン」、復刻版ってことか?
日本にもキリンラガー・クラシックとか有りますやね。
キルギスのビール製造がそんなに長い歴史があるとも思えないのだが・・・
気になるお味は、上記とたいした違いは無い。





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美味しいスメタナに出会う [ビシケク / キルギス]

2010.12.18 ▲キルギス
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これまでロシア料理というものに馴染みが無かっただけに、
旧ソ連に初めて訪れて、いろいろと驚きがあった。

長らく中華圏で過ごしたので、国境を越える時、
うまいメシからは当分遠ざかるのかな、と一抹の不安があったが、
所変われば、品変わる。
こちらはこちらでウマイものがある。

キルギス人は遊牧生活が長かっただけに、食はシンプルだ。
それでも、ロシア料理のバリエーションも含めれば、色々なメニューが食える。
特に、肉の加工品や乳製品はウマイと感じた。

例えば、中国でチーズを食べようと思ったら(日本でもそうか)、
かなりの大枚を叩かなければ、うまいチーズは食えない。
これは毎日食べるほどには根付いていないものだから、仕方が無い。
それほど、キルギスに入ってからは、食文化の違いを感じ、
ここならではのウマイものに沢山出会った。
ハム、サラミ、チーズ、ヨーグルトなどなど。
変わったものではサーラという豚の脂身の塩漬けがうまかった。



で、上の写真のスメタナ。
これはサワークリームのことだが、
スープに入れても良し。パンに付けても良し。
からいものに入れても良し。甘いものと合わせても良し。
と、とにかく万能。
チーズ的なコクと、ヨーグルト的な酸味と、クリーム的なまろやかさ、
全部あわせ持ったような、ツワモノです。

とはいえ、自分の用途のほとんどは、
パンとスメタナとサラミを用意して、ただ食べる。
と、極めてシンプルなんですがね。



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ボルシチ(ビート=てんさいのスープ)にもご覧の通り、スメタナが入っている。















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キルギスの麺食 ~麺紀行8~

2010.12.17 ・麺が好き
昔、イタリア人ジローラモ氏がTVで言っていた。
「日本人は麺食の伝統が長い。
 だから日本で食べるパスタは茹で加減がちゃんとしていて美味しい」と。

ふ~ん、そんなもんかねえ。
と聞き流していたが、思い当たる節が無いでもない。
思えば、幼少の頃、スパゲティが嫌いだった。
それもこれもイギリス人が作るパスタにセンスが無かったせいだ。
イギリスのメシがマズイと言うのではない。
麺食にはセンスが必要なのだろう。
特に、麺の茹で具合は大切だ。

ってことで、キルギスの麺です。ラグマンの続き。



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地元ラグマン。(60ソム)
野菜多めのトマトスープの中に麺が入ってます。これはこれで良い味なのですが、
麺は柔らかめ。コシとかそういうものはあまり気にしないみたいです。



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ウイグル式ラグマン。(ラグマン80ソム + 茶・ナン15ソム)
ウイグル人が多いマディナ・バザールでは、
「カシュガル」や「ウルムチ」という屋号の食堂が並び、こういうのが食べられる。
箸が付いてるのも嬉しいこちらは、新疆で食べたような、ぶっかけ方式です。
麺はちゃんと手打ち麺。讃岐うどんのようなコシがあります。
やっぱりこっちの方がウマイと感じる。



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※麺紀行の過去記事はこちらへ
 →http://tabinomanimani.blog24.fc2.com/blog-category-23.html

街角スナップ [ビシケク / キルギス]

2010.12.16 ▲キルギス
オシュで初めて見たソ連風の街に魅惑された僕は、
ビシケクでは、さらに悩殺されることになります。
それほど、初めて訪れたソ連風の都会は奇異な刺激にあふれてました。

30年くらい前には新築だったであろうビルや団地が、そこかしこ。
今でははっきりと、くすんで建っているのです。
そんなものにグッと来てる自分を発見した時、
自分の廃墟ツボは、近過去もカバーしてるんだと気付きました。

いや、この街にあるのは、褪せた色の魅力だけではありません。
確かに、集合住宅など公共建築に多いソビエト様式の建物は、良い具合にくすんでます。
が、街の中心部にはロシア教養主義的なハイソな見掛けの建物も少なくないのです。
そして、その二つのいずれの要素も、自分がこれまで訪れた街とも違うのです。



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市中心部、マナス像近くの地下道。




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マナス像。「マナス」はキルギスの叙事詩にして、その主人公の名前。




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マナス像近くの広場。この辺りは学校も多い地域。ハイソですね。




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さすがにピシっとしています。




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ソ連っぽい団地。
窓の形など、棟毎に異なるデザインが施されていて、見るものを飽きさせない・・・




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同じく団地。




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団地前のモニュメント。このくすみ具合からして、太陽の塔よりも古いのかな。




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トロリーバスが街を縦横に貫く。




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オシュ・バザールは巨大な市場。本気で迷子になりそうなくらい広い。




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オシュ・バザール内の肉売り場。
キルギス人は基本的にムスリムなので、豚肉はロシア人が売っている。




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バス車内。




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「ナロードニィ」=「人民の」という名の24時間スーパーマーケット。




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ビシケク南郊のオルトサイ・バザール。




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この看板娘看板は至るところで見かけた。同じくオルトサイにて。




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冬ですが果物は豊富。




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とにかく広いオルトサイ。




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海の幸も売っている。これもオルトサイ・バザール。
イクラは、ロシア語だって。
日本でいうイクラは赤イクラ。黒イクラはキャビアのことを指すんだって!













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【実録】悪徳警官に出会ったら [ビシュケク / キルギス]

2010.12.15 ▲キルギス
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[ビシケク南郊のオルトサイ・バザール]



ビシケク滞在2日目。
ちょいと買い物しようと宿近く、バザールをうろついていると、
曲がり角で出会い頭、警官二人と遭遇した。

慇懃な挨拶をくれて後、パスポートを見せろ、と言ってきた。
要求どおり、パスポートを見せる。
すると先方、何やかやとイチャモン付けてくる。
ビザが無いことを指摘しているらしい。
日本人はビザ不要、との旨を書いた日本大使館発行の紙を見せた。
なんだか納得したようなしてないような顔付きの警官二人。

そのうち、「お前さっきタバコすってただろ。
 バザール内は禁煙だ。罰金300ソム(≒600円)だ」 と言ってきた。
(ははあ、これが噂に聞く悪徳警官か。不当な賄賂請求だな)

分の悪いことに、パスポートは警官の手元だ。
「返せよ」と言って手を伸ばしてみると、ポケットにしまいやがった。
状況はさらに悪化。

仕方が無いので、大声で適当に叫んでみた。
ここはバザールの中。周わりは人が沢山往来している。
周囲の注目を集めれば、警官も悪事を働きにくいのでは、と思ったのだ。
ひとしきり大声で叫んでみて、周囲の反応を伺ってみた。
道行く人は皆、見て見ぬフリをしている。
あ~またやってるよ、というような目付きで。
まるで効果が無いことを悟った。

次に、日本大使館に連絡したいと言ってみた。
小遣い稼ぎのために絡んできただけなら、
そんな大ゴトになる前に諦めるだろうと読んだのだ。
そしたら、携帯電話を差し出してきた。
自分で電話しろということらしい。
残念なことに自分はその時電話番号を控えてなかった。
自分の無用心を呪った。

最後に、力ずくでポケットからパスポートを奪うことを試みた。
ポケットの中のパスポートに手が届いた。が、相手は二人組。
ほど無くすると押え付けられた。
そして僕は、昔見た、
捕獲された宇宙人のように両手を抱えられて連行された。
行き先は派出所だ。

数百メートル先の派出所の入口まで来た時に、観念した。
中に入ったら、こんな奴らが更にうじゃうじゃいるのか、
と思ったら、ぞっとしたのだ。
ポケットに、財布とは別に入れていた小銭だけを出して、
「金はこれしかない」と言いきり、
56ソムを渡した。
警官は念入りに数えた後、16ソムのお釣りをくれた。
二人の警官で20ソム(≒40円)ずつ山分けしたのだ。

この国の賄賂の相場は、20ソムだと知ることが出来た。
当日は悔しさのあまり眠れない程だったが、
今振り返ると、20ソムのためにあそこまでしたのか、と
悲しい気すらする。


その後、対処法を考えた。
キルギス人はモンゴロイドでなので、日本人にはさほど難しくは無い。
目立たぬファッションをすれば、地元キルギス人に紛れ込める。
眼鏡を掛けない。派手な色の服は着ない。ジャージを穿く。等々。
そうしてみると、警官に呼び止められるようなことは激減した。
それから、日本大使館の電話番号はいつでも控えておくようにした。













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キルギスのメシ [@オシュ/キルギス]

2010.12.14 ・食べ歩き
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シャシリクと呼ばれている。
これは「シシ」=「串」(アラビア語)、「リック」=「のもの」(テュルク語)が混ざってロシア語化したもの。
串焼も中央アジアへ来ると呼び名もカタチも変化した。
こちらではツクネ状のものが多い。タマネギが付け合せについていて、酢をかけたりする。




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マンティとか。餃子系。




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ピェルメン(ペリメニ)は、小さな水餃子。カラシを付けて食べたりする。




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ドネル・ケバブ。トルコ辺りからの影響でしょうか。




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ガンブルゲル(гамбургер)。ロシア語でハンバーガーはこうなる。
ハンバーグを挟んでいるのもあれば、この写真のようにドネルの肉を挟んでいるものも。




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ビフシュテキは、ビーフステーキが訛ってロシア語に入ってるのだろう。
ハンバーグをメインにして、イモや米、マカロニ、漬物、サラダなどの付け合わせが乗ってる。




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ビール。




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基本はやっぱりナンとスープ。
寒い季節はスープがありがたい。




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いや~ここらのスープは、本当にうまかった。




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ソ連っぽさ [オシュ / キルギスタン]

2010.12.13 ▲キルギス
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キリル文字だらけ。




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マルシュルートカ=ミニバス。
キルギスに入るとドイツ車を良く目にする。ベンツ、アウディ、オペルetc




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バス停。なんだか広々としている。




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こういうデザイン、個人的にグッときます。




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くすんだ感じもグッときます。




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道路沿いにこういう看板が並んでいる。
こういうのは資本主義化してからなんでしょうか?




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街の南には、巨大なレーニン像が残る。




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とにかく巨大。




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聖地タフテ・スレイマン。入場料は2ソム(≒5円)
比較しては不謹慎だが、街の公衆トイレの入場料が3ソムだった。




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スレイマン山の上にある「バーブルの家」。
15世紀、ムガル帝国の建国者バーブルはフェルガナの領主であったが、
このモスクはバーブルによって建てられたと伝わる。




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オシュのバザール。フェルガナ盆地で最大級(であった。)




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バザールのおばちゃん達。




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柿が旬かな。




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新疆でも良く見たが、ここにも鍛冶屋が。




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冬なのに花。




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シャシリク=串焼。バザールにて。




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カルパック=キルギス帽子のおばちゃん。




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オシュは、フェルガナ盆地の東端の街。
キルギス人とともにウズベク人も多く住む。(いや、住んでいた。)




※以上、革命前のオシュでした。
キルギスでは、2010年4月に革命が起こりました。
その際、オシュを含む南部の動乱は激しく、
それまでキルギス人と共生していた、ウズベク人達の住居や商店は標的となり、
多数が難民となったと言います。
また、巨大な敷地を誇っていたバザールも焼き討ちにあい、全焼したと言います。
国内第二の都市とはいえ、ご覧の通りのどかな街だったのですが・・・













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元祖「チャイ」 [オシュ/キルギス]

2010.12.12 ▲キルギス
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茶を「チャイ」と呼ぶのは
何もインドの専売特許ではないらしく、
ここら中央アジアでもそうだし、
ロシア語でもチャイと呼ぶと知ったのは、
キルギスタンに入ってからのこと。

ほとんどの言語で、茶を示す単語は
中国語の「茶」が語源になっている。
茶はもともと中国にしか生えていなかったのだし、
インドでの栽培も、英国が対清貿易赤字を改善するため
始めたものだから、さほど古くは無い。

問題は、茶が語源だとして、
それが、中国のどの時代のどの地方の言葉かによって、
伝わった発音が異なる、と考えられること。
例えば、英語のteaは、福建語が基になっている。
世界各地の茶の呼ばれ方と、
中国での時代・場所別の茶の発音を照らし合わせれば、
世界史上の茶が交易ルートが見えて面白いんでしょうが。

さて、
「チャイ」と呼ばれている地域は?というと、
南アジア・マサラ文化圏ではインドが「チャイ」だけど、
周辺のネパールやバングラデシュでは「チャ」と呼ばれていたりする。
インド含め西側に眼を転ずれば、
パキ、中央アジア、イラン、ロシアなどが「チャイ」。

で、ここから妄想になるのだけど、
中国のいつか、どこかで、茶をチャイと呼んでいた。
それがいわゆる「シルクロード」という通商路を通じ、
西へもたらされた。
シルクロードは北西へ分岐してロシアへ、
南西はヒマラヤを迂回してインドへ向かう。

インドは広いので少々補足。
中国からインドへ茶が伝わるルートとして、
より近い東からの陸路、海路も考えられるが、
中国とヒンディ語圏の間にあるベンガル語ではチャなので、
チャイという言葉は、西方からは伝わっていないと言える。
また、前にタージマハルの項でも触れたが、
特にデリー辺りは、中央アジアの強い影響下にあった。
とすると、やはり、
チャイはシルクロード経由と見るのが濃厚な気が。

ま、おいしいお茶が飲めれば良いんですけどね・・・














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ソ連の残り香 [オシュ/キルギズスタン]

2010.12.11 ▲キルギス
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早朝、オシュに到着。
腹が減ったので、明るくなってから、食堂に入ってみた。
ガランとした店内は、ここが本当に食堂かと疑うほど寂しいが、
奥で調理をする気配がかろうじて食堂らしさを保っている。
おばちゃんが出てきた。
何が食えるのかまるで分からないので、
指で空気に四角を描きながら、「メニュー?」と聞いてみた。
通じたようで、メニューが出てきた。

メニューを見ると、全部キリル文字だ。分かるはずが無い。
(寒いから温かいスープでも飲みたいのだけど。)
仕方が無いので、碗を両手で持ち上げて飲むジェスチャーをしながら、
「スープ?」と聞いてみた。
「アハん」と、店員はあっさりと合点して厨房に注文を伝えに行った。
(本当に伝わったのかな。)
妙に広々として、寒々しい店内を見渡すと、不安はいっそう募った。
数分後、ちゃんと温かいスープが出てきた。
おいしかった。

後で知ったことだけど、
「メニュー」も「スープ」も多少発音の違いはあれど、
ロシア語の中にもあったのだ。
それに、ガランドウな造りは、
この店に特有のものではないことも、後々知った。
社会主義時代の名残か?
効率化を重視しないから、
無駄とも思えるほどに広々としたスペースが残るものなのだろう。


とにかくカシュガルから
イルケシュタム峠の国境を越え、キルギスに入った。
ほんの一晩の移動で南部の中心都市オシュへ。
直通の国際バスは、カシュガルに買出しに来ていた
キルギス人やウズベク人達でいっぱいだった。

カシュガルからの移動中、バスの車窓から見る景色は、
それはそれは面白いものだった。
寝台バスの2段ベッドの上段では寝そべっているしかないが、
ずっと飽きずに風景を見ていた。
トルファンの火焔山のような山、くっきり見える断層が垂直になった岩山、
ラマユルのような月面風景など。
でも、それ以上に、乗車客の言葉や行いが、
また遠くに来たもんだ、と感じさせた。

世界には、ここを越えると大きく文化が変わる、という境がある。
以前、チベットからヒマラヤを越え、ネパールに行った時がそうだった。
カシュガルからオシュへの越境も同じくらい大きな変化を感じた。
キルギスは、初めて訪れる旧ソ連圏だった。



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キルギスに着いて最初に食べたスープ。非常に美味かった。
当初、中華圏から離れて、メシの質が落ちること心配していたが、
このスープでそんな不安は吹き飛んだ。













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新疆のまとめ

800px-Kokbayraq_flag.svg
[キョク・バイラム。東トルキスタンの旗。]



【人】 
09年7月5日のウルムチ事件後、
新疆の各都市では軍隊や武装警察による「警備」が強化されていた。
また、流言を阻止するという目的で、
インターネットや国際電話の利用が停止していた。
こうした状況に対する評価は、新疆内でも西部と東部で温度差があるようだった。
東の方トルファンでは、
「60年間これほど大きい事件は起きなかった。今回のは稀な事件。
 通信手段が一時的に遮断されるのも仕方が無い面がある。」と、比較的温厚な感じ。
西の方カシュガルまでいくと、もっと激越な政府・漢人批判を聞いた。

漢人が増えている?
統計上、人民共和国になってから漢人が一気に増えたものの
概ねウイグル人の増加率の方が高い。
特に90年代以降は漢人の増加率はさほど伸びていないようだ。
漢人一般は新疆は危ない所だと忌避しているようで、
わざわざ移住する者も減ってきた、というところか。
もちろん絶対数は多いが。新疆人口2000万人中漢族は800万ほど。
また、カシュガルに関しては、
25年前には漢人はほとんどいなかった、という話も聞いた。

そんな中、地元人と漢人が、互いに相交わらないのが目に付いた。
その様子は街の造りや、列車の中などに見て取れる。
街。
チベット・ラサなどもそうだが、
旧住民の住むエリアと漢人主体の新市街は分かれている。
もっとも、そうした街の造りは、「少数民族」の街に限らず
中国全土で言えることかも知れないが。
列車。 
クチャからカシュガルへは硬座に乗ったが、ウイグル人率およそ99%だった。
寝台車両には、漢人ばかりだった、とは寝台に乗車した人の言。
4人乗合いタクシーでの話。
既に僕と漢人2人の計3人が乗っていた。あと1人乗れば満席。
ドライバーが客が1人見つかったと言ってきた。
「ウイグル人だけど良いか?」と先客3人に聞く。
漢人二人は拒否し、空いている1人分の席代を、
先客3人が出し合いことになり、出発した。




【世界観、日本観】
トルファンはそれほどでもなかったが、
カシュガル辺りまで行くと、けげんな目をされる事が多くなった。
漢人と間違われてのことだと思うが。
反漢意識は東低西高ってところか。

抗日戦争ドラマに出て来る日本軍を応援する。
「関東軍、好!」
こちらが当惑する程に、あけすけに言う。
1963年の中印国境紛争で、実際に戦ったのはウイグル人と聞いた。
崑崙の地理を良く知り、馬術に長けていたので強かったのだ、という。
武器はロシアや旧日本軍から流れたものを使用していたという。
そんな話をこちらが日本人と見るや、嬉しそうに話してくれた。
しかし、日本人=漢人を殺す奴ら=良い奴、
という単純な図式で親日を説かれても、こちらとしては微妙な気持ちである。

“ウイグルの古称は「ON」。これは「NIHON」の『ON』と重なる。”
という話は、複数人から聞かされたので結構流布しているのかも知れない。
こうしたネタが真剣に語られているのも、
反漢意識の高さの裏返しなのだろう。

以下、とあるウイグル人のテュルク観。
テュルク諸民族の中で、「ウイグル人は母、トルコ人は父」。
我々には二人のムハンマドがいる。
一人は預言者ムハンマド。
もう一人はトルコ・イスラムの父、マフムッド・カシュガリだ。
テュルク諸民族の間では、基本的な語彙に共通するものが多く、
諸民族間で言語は似通っており、お互い70%は通ずる。




【もの】
料理はうまい。肉(特にヒツジ)が主体なので、好き嫌いはあるかも知れないが、
肉食人間には嬉しい限り。
前にも紹介したラグマン(ぶっかけ麺)カワップ(串焼)ポロ(ピラフ)の他にも
酸肉湯(トマト、野菜、肉などのスープ)、ソーメン(炒麺)、湯餃etc。
中華の波にもまれているだけあって、いずれもウマイ。
串焼をつまみながら酒を飲むことも出来るのも、こちらとしては嬉しい所。
ただし食堂内は禁煙の所がほとんど。

新疆に入ると、他のイスラム諸国からの輸入品が目に付くようになった。
中東製のコーヒー、トルコ製のお菓子など。
 
5年ほど前から日本のドラマが見れなくなった、とウイグル人が嘆いた。
中国製のドラマ・映画は面白くない、日本のものが見たい、と。
とはいえ、とある食堂のTVで中国映画『英雄 / HERO』を放映していた時は、
店内全員が食い入るように、ワイヤーアクションに見入っていた。
巡礼チベタン達が飛行機や鉄道を見て、歓声を挙げていたのを思い出した。
これも、文明の力か・・・

コーランが手に入らない、と聞いた。
全く無い訳ではないが、そもそも書店が限られていたり、数が限られていたり。
昔はもっと容易に買えたのに、と嘆く。
その他にも昔はどんな年齢でも容易にモスクに入れたのに。
学校で漢語教育が主流になりつつある。子供の教育が心配だ。
等々、不満は数え切れない。




【時間】
日常生活では、北京時間より2時間遅い「新疆時間」が使われている。
バス、鉄道、公安など公的な場所では北京時間が使われる。
公安などは、北京時間11時頃から営業開始のようだった。
北京時間11時=新疆時間9時だから、別に怠慢ではないのだろうと思ったが、
閉店は北京時間17時=新疆時間15時のようだった。
ご都合主義の9時5時か??
なんにしても、時間が二つもあると頭がこんがらがる・・・
しかし、ウルムチとラサの経度はさほど変わらないのに、
チベットでも現地時間が使われないのはナゼだろうか?




【金】
「辺境」ゆえ物価は安い。旅行する分には宿、メシ、公共交通費などは安く済む。
ただし、新疆区内には廃墟になった遺跡が沙漠のなかにポツンとあることが多いため、
足が無いと、タクシー代などがかさむ。

カシュガル辺りでは、仕事が無い人の方が多いと聞いた。
30歳・男の話では、35元1kgの肉を、一家7人が1週間かけて食べる、とのこと。
この人はまだ仕事があるから良いのだという。
安い物価も、こうした地元人の生活水準と表裏だと思うと微妙な気持ちになる。



 
【習慣】
ご飯を食べた後、神に感謝の意を捧げる。
両掌を指先が軽く触るように上に開きながら、祝詞をあげたのち、
両掌で顔を洗うような仕草をする。
大勢で、例えば10人位で食卓を囲んでいる時にも、
全員が一斉にその仕草をする。
とても良い習慣だと思った。

ムスリムだから、きれい好き。
というのはステレオタイプかも知れないが、
例えば市場などは、中原に比べれば臭いは少ないかも知れない。
「漢人の家に比べるとウイグル人の家はキレイだ。
 なぜなら、漢人の女性は掃除をしないからだ。」
とは、20年来中国に通っている旅行者談。

新疆では早婚が多いようだ。
域内至る所で、晩婚を勧める標語をよく見かけた。
「少数民族」には出産制限が無いことも相まってか、
実際に新疆内では出生率は16%にも及ぶようだ(03年)。
クルバン祭前のカシュガル行列車内では、やたらと子供連れが多かった。
22歳の時に14歳の相手と結婚した男は、奥さん若かったんだね、と驚くと、
ウイグルは、肉食だし天候等の条件が異なるから、成長の度合いが異なるのだ、と言った。

寝台バス車内には絨毯が敷いてあった。なんだかエキゾチック。
だが、中国内の他地域と比べると、バスのトイレ休憩が少ない。
また、バスがなかなか発車しない。客を集めてる訳でもなく、
なぜか発車するのを躊躇っているのだ。理由は最後まで分からず。
何につけても悠長なリズム。

ビザの延長に行った時もそうだった。
出向いて早々に「ビザはもう出来ているわよ」と女性官は言ったが、
それから、当日の日付をスタンプを押すまで20分掛かった。
日付の部分がくるくる回る式のスタンプの日付の部分が、
なかなか納得行く角度に収まらないようで、
20分に渡って、調整しては試し押し、調整しては試し押し、と
こだわっていたからだ。それも少しも急がずゆっくりと。
ここでは時間はかくもゆったり流れるものか、と感じ入った。



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以上、「まとめ」と言いつつ、ほぼ聞き書きでしたが。
さて、次回はキルギス。
中央アジアへ突入です。



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アニマル・マーケットへ  [カシュガル]

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カシュガルの郊外には毎週日曜日に動物市(マル・バザール)が立つ。
この市場はどうしても見て置きたかったが、
犠牲祭の最中はお休みだったので翌週訪れた。
カシュガルでの最後のイベント事だ。

会場は広い。
東京ド-ム2個分ほどはあるかな?
前部には、牛や羊など、主に食用の動物が売られている。
中頃には、ラクダなど大型の動物が目に付くにようになり、
奥部は、馬などを売っているので、広いスペースが広がっている。馬の試乗用だ。





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羊コーナー。




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牛がでかい。牛っておとなしかったり、猛ってたりしますよね。
ここのは結構、猛ってた。




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異種の愛。




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ラクダ引きの愛。




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ラクダを見つめる老人。




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馬引きの少年。




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とにかく馬がたくさん。




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馬の鞍。じゅうたんも敷いてあるんですね。




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馬に試乗し、品評している。




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入れ替わり立ちかわり、いろんな人が試乗しています。




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気になる馬のお値段を聞いてみると、1千元~5万元(≒1万3000円~65万円)ほど。
なかなか手の届きそうな価格。次回は馬に乗って旅してみたいものです。
さて、これでカシュガル編も終わりです。
この後、峠を越えて、キルギスへと向かいます。



[メモ]
カシュガル市内より8路バスで終点へ。
毎週日曜日、遠方市場にて開催される。



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[写真]
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消滅都市・マリカワト [ホータン近郊]

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ユルンカシュ川を遡ってゆく。
市内を流れる川床でも玉を探す人がいたが(あ、自分もか)、
めったなことには見つからない。
玉は川の上流から流され、磨かれ、下ってくるからだ。
昨今、需要が供給を上回っている証拠に、
採掘地は年々上流に移動している。
今、車で訪れつつある上流の方も、
大型ショベルで散々掘り返されているようだった。

マリカワト遺跡へ。
タクシーの運転手には1時間ほどで戻ると伝え、散策へ。
足元の砂は粉状に柔らかく、歩くたびに粉が舞い上がる。
これは歩きにくい、と感じた。
そんな足元のパウダー状態以上に、歩きにくい理由は、
目印となるようなものがほとんど無いのだ、ここは。
約1km×1kmの遺跡内には、
数百メートルを隔てて、ぽつーん、ぽつーん、
と岩状の何かが立っている。
取りあえず、その何かを目指して歩いてみる。
一つ到着。
なんとも言いようの無い、元造形物。
取りあえず、岩のぐるりを巡って眺めてみる。
感慨に浸る間もなく、いや、浸らせてくれる程のものでも無いので、
もう一つ向こうに見える何かを目指して歩いてみる。
二つめ到着。
三つめ到着。
と繰り返してる間に、飽きてしまう。それほどに広かった。
それでも、歩いていると、所どころ足元に、
陶器の破片が落ちているのが、物悲しい。

 
このマリカワト遺跡は、于闐国の王都跡だといわれる。
于闐(ウテン)。
井上靖「敦煌」には、于闐の王族・尉遅(ウッチ)氏の子孫が登場した。
小説の中、于闐は既に滅び、キャラバン隊商を率いる尉遅光(ウッチ・コウ)は、
旧王族としてのプライドが高く豪腕で、必ず利益をモノにする商人だ。
玉を産する于闐=ホータンの出身ゆえ、玉を見る目は鋭い。
主人公の思い出の玉を、なんとしても手に入れようとするのがウッチだ。
彼は、ちょい悪役気味で、助演俳優賞モノの立ち位置にいるが、
主人公との、クサレ縁、変な友情、ケンカ、騙し合いが、
物語をぐんぐん推し進めていく。

小説「敦煌」でウッチが活躍していた頃には、既に滅び、
その王都も廃墟と化していたのかと思うと、ウッチに同情した。





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遺構が点在している。




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比較的それと分かる建物跡。だが、何の跡かは分からない。




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パウダー砂の上に、陶器の破片が落ちている。




[メモ]
・廃墟ランキング ★☆☆☆☆

・マリカワトは、ウイグル語でMELIK AWAT、漢語では“买里克阿瓦提/買里克阿瓦堤”
 于闐国の王都跡との説が有力だが、仏教寺院跡との説も。
 ここでは漢から唐代にかけての遺物が発見されている。
 敷地は南北1.4×東西0.9kmとなかなか広い。

・ホータン市内から25km。市内からタクシー45分ほど。
 タクシーチャーター2時間半ほどで120元(現地見学時間1時間)




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朝飯プロフ [in ホータン]

2010.12.06 ・食べ歩き
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朝飯に屋台でプロフを食べる。出来立てアツアツでうまい。
お値段2元ほど。ホータンは物価が安い。



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玉さがし [in ホータン]

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ホータン(和田)へ行ってみた。

カシュガルからタクラマカン沙漠の南側を通って東へ戻る。
ここらの町は、人の往来の多い北道とはだいぶ雰囲気が異なる。
なんか濃い。人の顔や町の喧騒や、空気そのものが濃縮だ。
そんな砂漠の南側でも、ホータンは大きな街だ。
とはいえ、この街に外人が訪れることは少ないのか、
日本人だと言っても信じてもらえないことも度々あった。

 
ホータンの街の郊外を流れるユルンカシュ川/玉龍客什河では、
玉(ぎょく)が取れる。 
玉といわれても、我々日本人にはなかなかピンと来ない。
なんとなれば、マガタマの方が、グッと来るかも知れない。
とはいえ、中国で伝統的に玉がいかに重宝されて来たかは、
玉璽、玉石混交など、今なお使われる言葉から、たやすく想起できる。
そんな玉。ホータンはその産地として古来有名だったし、
現在も全国至るところで「和田玉」の看板を見かける。

ってなわけで、川へ玉探しに行ってみた。
川は水が少なく、川床へは降りて歩けるほどだった。
ゴロゴロ転がっている石の中から、玉を探し歩いた。
生の玉がどんなものかは知らないが、キレイなものを探せば良いのだろう。

そのうち、少年達がやって来て
ポケットからキレイ目な白い石を出し、玉と称して売ろうとする。
こちらはのらりくらり逃げていたが、
しつこく迫る少年達が面倒臭く感じるようになったので、
いくつか石を拾っていたおっちゃんの元へ逃げ、話しかけてみた。
彼の拾った石について聞くと、全部ニセモノだという。

おっちゃんの話では、1980年から解禁されたため、人々が拾いはじめ、
30年経った今では、もうほとんど見つからなくなってしまったらしい。
昔は両こぶし大のモノが拾えた、とも言う。
「へえ、じゃあおじさん随分儲けたんじゃないの?」
と聞くと、おっちゃんも自分で見つけたわけでは無いようだった。
彼は普段、100kmほど離れた沙漠の方で放牧を営み
ラクダを10頭、羊を100頭以上飼っている。
牧民としては、それなりの財産家かも知れない。
ただ、現金は必要なのだろう。
時たま街へ出ては窓ガラスの研磨の仕事をしているという。
日常の移動はラクダでするという話だが、
和田へは15元のバスで往復するのだという。
今回ホータンには、友達に貸した金を返しにもらいに来たとか・・・

1時間以上も探してみたが、結局成果なし。
自分もおっちゃんも玉はあきらめ、めいめいに帰った。
 
雨が降ったあとは、それでも玉が見つかることもあるようだが、
今の季節は、河を歩いて渡れるほどに乾いている。








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おっちゃんと一緒に玉を探した。




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アトラスの手工場を訪問。




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鳥の丸焼き。




[メモ]
ホータンへはカシュガルから11時間ほど。89元。
現在、道路に平行して鉄道も造られていた。
今後はさらに訪れやすくなるのだろう。



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クルバン祭 [カシュガル]

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カシュガルの街中では犠牲祭に備え、数日前から羊の市が立つ。
家畜を育てている者は別だが、カシュガルは街なので、
街へ羊を連れて来た牧民たちの群れと、
それを取り囲んだ街の人たちが交渉している光景が目立ち始める。

イスラム社会で大きな祭は2つ。
カシュガル辺りでクルバン・ヘイト(犠牲祭)と呼ばれる祭は、その一つ。
日本で言ったら、盆と正月のうちのどちらか、だろうか?

今年2010年の犠牲祭は、太陽暦11月16日から数日間だったので、
このブログの時差もかれこれ1年。
いやはや、開いたものです。

さて、イスラム二大祭についてですが、
ラマザン(断食)明けを祝って行われるのが、ローズ祭。
その3ヵ月後、メッカをめぐる大巡礼(ハッジ)を終えた後、
神に謝意を表すために犠牲を捧げるのが、今回のクルバン祭。
文字通り、購える者は一頭、羊や牛などの動物を神に捧げ、
一族や貧しい者に振る舞うのだという。

当日のカシュガルの街では、
早朝7時頃からお祈りが始まり、羊などの動物を神に捧げる。
その後、モスクへ人々は集まり、音楽に合わせて踊ったりする。
祭の期間は5日間とのこと(他の国では4日とも聞くが?)

この日は、街の至る所で羊を絞めている様子が見られた。
ベジタリアンには、キツイ光景かも知れない。
当日一緒に出歩いたベジタリアンは、顔をしかめていたが、
自分自身も動物を絞める様子を大々的に見たのは久々だった。

普段自分は、
食べ物のありがたみ、いや、食べるという行為のありがたみを、
実感しているだろうか?
そんな実感を得るきっかけが、なかなか無い、というのも事実。
自分達がしている一つ一つの行為を、自分達はどこまで自覚しているか?
 
そんなことを考えた時に、宗教というのも良いものかも知れないと思った。
大事なことが儀式化され、皆が参加し、それを見て、覚えていく。




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数日前から街中に羊が溢れはじめる。



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おっとっと。



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羊の解体、ステップ1



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ステップ2



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ステップ3



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古民居街では、人が大勢集まりラクダを絞めていた。
ラクダは大きい。10家族分くらいはあるだろうとのことだった。




街の中心のモスク、ヘイトガーフ。建物の上から音楽が聞こえる。小さな楽団だ。



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昼過ぎ、ヘイトガーフ前には音楽に誘われるように人が集まってきた。



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踊る。



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踊る。男ばっかりだが、



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でも、楽しそう!



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[写真]
PENTAX K20D + PENTAX-DA★ 16-50mm F2.8
PENTAX K20D + PENTAX-FA 31mm F1.8AL Limited

[動画]
RICOH GRDⅢ

ヒツジ、ヒツジ、ヒツジ [シルクロードの羊串]

2010.12.03 ・食べ歩き
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[クチャの串焼屋]


羊がうまい。
そんなことを前にも ちらっと書いたけど(→旧記事)、
やっぱりうまいのでまた書きます。

西安では、回民坊(ムスリム街)に串焼屋が集中していて、
そこかしこに煙が立ち、食欲をそそる匂いを運んでいた。

よりムスリム色が強まった酒泉は、さらに串焼き屋が集中していた。
串焼をつまみながら、酒を飲む、という日本の焼き鳥屋的な感覚。
香川県に行った時、“ここは本当にうどん屋が多いんだ”と、
妙に感心した記憶がオーバーラップした。

敦煌では、実はロバ肉が名物になっている。
でも地元の人いわく、
「あれは地元政府が名物を作りたくて、そう宣伝しているだけ。
 敦煌では、羊肉こそが一番うまい」とのこと。
たしかに敦煌で食べた羊はうまかった。
串焼きだけじゃなく、羊の白茹で、羊の内臓炒め etc...

敦煌ら辺のゴビ沙漠には淡い色の牧草が点々と生えている。
それを寒草(Hancao)と呼ぶ。
敦煌の羊はこの寒草を食うから、うまい肉になるという話を聞いた。


進むにつれ、串焼の呼び方が、
烤肉(かおろ"う 漢語)からカワップ(ウイグル語)に変わったものの、
西安を出てからこっち、ずっと羊の放牧に良さそうな土地が続いている。
ムスリムは乾燥地帯に多いが、そうした土地で羊が重宝され、
豚が忌避されるのにも、気候的な理由があるのかも知れない。
もちろん羊の本場では、新鮮で美味しい羊を食える。

中国の各地で、新疆料理・イスラム料理として羊の串焼を食べれるが、
それらは、たいがい数種類のスパイスをかけて焼く香ばしいものだった。
が、新疆内では、土地によって料理法が違うようだった。

ウルムチで食べたものは、
中国の内地で食べるようなスパイスをふんだんに使って焼いていた。
クチャのものもスパイスの種類は少なく、量も少なかった。
そして西端のカシュガルでは、スパイスは使わず、塩で下味を付けただけだった。

東から西へ行くと、串焼の味も変わる。
味の好みの問題なのか、羊の新鮮さの問題か(匂い消しのために必要なスパイスの量が違うのか)?
ま、美味しければ何でも良いのだけど。




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トゥルパンのバザールにて。串焼準備中。


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酒泉の串焼。スパイスが効いてます。


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ウルムチの串焼。同じくスパイスが効いてます。


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カシュガルのカワップ(串焼)。塩味。




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