スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

100%死ぬんですか?  [狂犬病のはなし]

R0016602_1





猛犬に囲まれた。

廃城を登ったところの、だだっぴろい雪原の中、
どこからともなく犬の吠え声が聞こえた。
声は次第に大きくなり、その数も増えた。
一匹、また一匹と、あるものは駆け足で、あるものはのろのろと近づいてきた。
気付くと5匹ほどの犬が吠え立てる中に自分がいた。

広い雪原に独り、視界に人は無し。
しばらく様子を見たが、犬どもは吠え続ける。

途方に暮れてるうちに、
「犬肉を食うと、犬も寄り付かなくなる」という話を思い出した。
そうだった。むかし南方で犬肉シチューを食ったことがある。
犬に向かって「食うぞ!」と威嚇してみた。

あまり効果は無かった。

仕方が無いので、カメラを入れた肩掛けカバンをぐるぐると、
自分を軸にコマのようにして振り回してみた。
距離を保てれば退路が得られると思ったのだ。
5匹の犬はじりじりと後ずさりつつ距離を取る。

そのうち、幸か不幸か、1匹の頭にカバンが命中した。
犬は、キャイーンと言った。

頭を殴られた犬は怒ったらしく、
一度5メートルの距離まで下がった犬ども
そのうちの一匹が助走を付け、こちら目掛けて走ってきた。

すねを狙われた。
低い姿勢で走ってきた犬。左のすねに衝撃を受けた。
当たった瞬間、足をよけた。が、牙が引っかかりズボンが裂けた。

こりゃかなわんわん、と観念し、カバンを振り回しながら全速力で逃げた。
積雪の中、犬より速く駆けた。

ほどなく、城の門の辺りまで逃げると、
管理人のおばさんがひょっこり出てきた。
おばさんが大声で犬どもをたしなめると、犬どもはそれ以上追っては来なかった。

自分は同情を受け、管理人の部屋に呼ばれた。
どうやら日中は家族が団欒しているようで、
おばさん、おじさんの他、娘さん二人とお孫さんがいた。
娘さんは美人だった。
こんな美人さん、3年に一度でも見れればラッキーじゃないか?というくらいの。

ま、それはそれとして、
その美人の娘さんは破けたズボンを縫ってくれ、傷口を洗うためにシャボンをくれた。
(その時気付いたのだが、ズボンの上から犬の牙が当り、その圧力で地が滲んでいた。)
一家の長のおじさんは茶と食事を用意してくれた。

終わりよければ全て良し。
なんだか、満たされた気分になって、城跡を後にした。



とはいえ、"出血"していたことが気になって、病院に行こうと思った。
「狂犬病」の恐れが万が一にも無い訳でもない。

地元の人に説明して病院の所在を聞く。
「犬にやられた?どれ見せてみ。なんだこの程度なら大丈夫だろ。」
と言ったリアクションがあるだけ。
半日探したが、病院は見つからなかったし、
自分でも「この程度なら大丈夫だろ」と思ったので、
とりあえずネット屋で狂犬病に関しての情報収集をしてみた。

そうしたら、驚愕の事実が。



以下、調べた結果。
狂犬病の感染から発症に至る流れを書いておくと、次のようになります。

【感染】
狂犬病ウイルス持ちの動物の唾液から伝染する場合が多い。(動物とは犬に限らない)
咬み傷のほか、目・唇など粘膜部を舐められた場合も危険性が高い。

【潜伏】
潜伏期間は2週間から2年程度。最長で8年という記録もあるらしい。
咬み傷から脳への距離によって異なり、脳に近いほど発症は速い。

【発症】
発症後の死亡率はほぼ100%。


とまあ、
狂犬病は、発症してから死ぬ可能性はほぼ100%、怖いですね。
とはいえ、狂犬病持ちの動物に噛まれても発症に至るケースは少ないようだ。
というのも、狂犬病ウイルス自体は弱いウイルスで、
咬み傷を受けたらすぐに傷口を石鹸でよく洗ってから消毒すれば、大半は死滅するらしい。
もちろんワクチン接種も必要だが。

自分の場合、
傷は犬の牙がズボンの上から当った圧力で出来た傷だったし、
(寒かったので下穿きもはいていたし)、傷口に唾液が入った可能性は無い、と判断した。セーフ...

ちなみに、狂犬病持ちに噛まれた後のワクチン接種は、噛まれた「当日」にまず受けなければいけない。
だが、このワクチンが存在しない国や地域もある。
現に、タジキスタンの場合、狂犬病が確認されているが、医療機関にワクチンは無いらしい。
これを知った時にはぞっとした・・・

みなさんも気をつけてくださいね。
(命に関わることなので、詳しくはコチラ等でどうぞ→ wikipedia「狂犬病」



▼ブログランキング参加中です。
 お一つクリック、よろしくどうぞ!
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

だから中国人じゃないんだってば・・・ @イスタラヴシャン・タジキスタン

IMGP8314



イスタラヴシャンの街は、アジア的だ。 人懐っこく、陽気な人たちが多い。

町に着いてすぐ、バザールを歩いていると、おっちゃんたちが写真を撮れ撮れとうるさい。
カメラを向けた後も、ファインダーの中におっちゃんが続々と増えてくる。

そして、バザールで出会った人たちに、
一晩お宅に世話になったのも前回お伝えした通り。

街を歩いていると、ちびっこが声を掛けてくる。
「キタイ、キタイ」あるいは「チーニ、チーニ」
ロシア語で、あるいはタジク語で中国人!と呼びかけてくる。

気付くと子供の集団がぞろぞろと後ろを着いて来ていたりする。
一つのちびっこ集団が去ったら、また次の一団が来る。
ある子は積極的に、ほとんどの子はちょっとはにかみながら、
でも好奇心が隠し切れないような目で見つめてくる。

ソ連邦内の最貧国と言われるタジキスタン。
独立後も長い内戦があったため、旅行者が訪れることも少ない。
老いも若きも旅行者に対して興味津々なのだ。
ましてや東洋人ともなると、実物を見るのは初めてという人が多いのだろう。
(後になって、タジキスタンには中国が多く投資しており、
 中国人労働者が多いというのを知るのだが、
 少なくとも小さなイスタラヴシャンには中国人は見なかった。)

旧い町並みの残る、小さな良い町だ。
町の北端の大きなバザールと、南端にある城跡の丘との間を小振りな幹線道路が結ぶ。
その道路の東側には旧い家並みが広がり、結構立派なモスクが点在している。
漫然と散歩するもの楽しいかも知れないが、
せっかくなんでちびっこ達の案内で、モスクを巡って歩いてみた。



R0015249
バザール前。なかなか立派な門です。



R0015247
バザール内。



IMGP8365
街一番のミナレット。



IMGP8374
住宅地。



R0015221
ほっつき歩いてると、子供がわらわらと群がってくる。



R0015198
ヌンチャク名人。



R0015201
イスタラヴシャンの街には旧いモスクが多いが、ここは規模も大きくキレイ。
キョク・グンバズ(青ドーム)と呼ばれている。



IMGP8389
城跡。ムグテッパと呼ばれる。



R0015227
城山に登ると街が一望できる。



R0015231
城門。裏は空っぽで一面雪原が広がっていた。そこで犬に襲われた。




▼ブログランキング参加中です。
 お一つクリック、よろしくどうぞ!
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

家にまぬかれて @イスタラヴシャン・タジキスタン

R0015174_0001
[まぬかれた家庭にて。こたつのサイズは丁度日本と同じ。]



バザールをうろついていると、昼間っから飲んでいる一団に誘われ、合流した。
どうやら皆、親戚同士らしい。
この中のひとりM氏(35歳)が英語を話す。
彼は大学で英語を修めたが、今はより儲かるトラックドライバーをしているという。
その他、歴史の先生や、アフガン戦線にも参加した人、医者などなかなかキャラが濃い。
しばらく一緒に飲んでいると、ウチに泊まりに来い、と誘われた。
バザールで、コニャックやビールを調達してから、
タクシーに6人詰め込むようにして、村に向かった。

彼らが住むのは、イスタラヴシャンの町から7kmほど離れたヴァルシクという村。
しっかりした石垣と土壁が印象的な家々が並ぶ、感じの良い村だ。ここは町よりも雪は深い。
「こいつは日本人だぞ」と、
“珍客”は、集まってくる村の人々に囲まれ、次々と村中の人に紹介されていく。
こちらはもう、流れに身を任せるだけだ。

0氏の家へ。子供達が4人なかよくコタツに入っていた。
彼は僕と同い年だが、奥さんが二人いて、ここにいる四人以外にも子供がいる。
夕飯時、町で会った親戚5人が集まった。
買ってきた酒を皆で分け、奥さんの作ったプロフやスープをつまんだ。
トマトやキャベツの漬物の入ったスープや桑の実のジャムはとても美味しかった。

話題は日本のこと、タジキスタンのことなど尽きない。
そのうち、彼らはウズベク人なのだと知った。
僕がウズベキスタンから来たのだと言うと、興味津々に、向こうの生活はどうだ?
物価はどうだ?どっちの国が良いと思う?と次々と質問された。
一番気になるのは、生活のことのようだ。
彼らの話からは、彼らがそれなりに余裕のある生活を送っていることがうかがわれた。
トラックのドライバーは、一回の運送でどれだけ稼げるかを自慢げに語り、
ある者は奥さんが複数いること、また大人数の子供を養うことも誇っているようだった。

楽しい宴会は、満腹になり酔いが回った頃に終わり、皆それぞれの家へと帰っていった。
夜は家主のオシム氏と同じコタツに入って寝た。
コタツは炭を入れて暖を取っている。とても暖かかった。




IMGP8319
町で飲んでる一団にまぬかれた。



IMGP8323
M氏は英語を話す。



IMGP8321
O氏の家にお世話になった。



R0015164
村に着くと、代わる代わる色んな人に紹介してもらう。



IMGP8329
村の商店。



R0015172
皆で連れ立ち、家へと向かう。



IMGP8341
村の夕焼け。



▼ブログランキング参加中です。
 お一つクリック、よろしくどうぞ!
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

アレキサンダー大王も来たらしい [ホジャンド・タジキスタン]

フジャンドです。国境を越えてタジキスタンです。
とはいえ、四国よりちょっと大きい位のフェルガナ盆地内の移動なのでさほど動いてはいませんが。

ここは、西方から来たアレクサンドロス大王の東征の終着点でもあり、
アレクサンドリア・エスハテ=最果てのアレクサンドリアとはこの街を指すとも言われます。
西洋世界の最東端の一つとも言えるかも。
ま、そのことについてはまた改めて詳述するとして、今回は簡単に街の紹介です。
訪れたのは2月。
山からの降ろし風が冷たく、
カザフステップに負けず劣らずの極寒ぶりでした。



R0015068
モスク前。 
この街は鳩が多く、近くでは鳩の市も立っていた。多くは観賞用とのこと。



R0015061
交渉成立。 鳩市にて。



IMGP8237
シルダリア。この大河は西北へと流れ、やがてアラル海へと注ぐ。



IMGP8225
なかなか大きな街。



IMGP8231
レトロさにもぐっと来ます。



IMGP8283
一応「Cola」なんですけどね・・・



IMGP8253
カップルにペンを貸してくれと頼まれた。
手渡すと、おもむろに後ろの記念碑に自分達の名前を書き始めた。お幸せに。



IMGP8254
要塞跡は修築が進み、真新しい城壁が建っている。



IMGP8287
城の形をした博物館。



R0015107
博物館にて。ギリシア神話に登場する神々が壁画になっている。なんせヘレニズムの街ですから。



R0015111
同じく博物館にて。ペルセポリスについてどでんと紹介している。なんせ同じアーリア人ですから。



IMGP8259
住宅地にて。



IMGP8260
同じく。



R0015143
食文化は周辺諸国と基本的に変わらない。が、フジャンドのバザール内は安くてうまい。
シャシリク2本+ナン+茶で5ソモニ(100円)程度。 あ、ウズベクのが安いか。



R0015151
「ノース」は口に含むとスースーするので皆大好き。
これもウズベクでも人気。口に含みスースーするのを楽しむ。



R0015130
バザール。タジク語の発音では「ボゾール」と聞こえる。
中央アジア最大の屋内市場らしい。



R0015134
が、屋外に比べて屋内は人口密度が低いため、さほど賑わいを感じない。



R0015132
パン売りの兄ちゃんと愉快な仲間たち。



R0015137
おばちゃん結構着込んでますね。2月のホジャンドは寒い。山から降りてくる風が強いのです。



IMGP8246




▼ブログランキング参加中です。
 お一つクリック、よろしくどうぞ!
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

女子写真@リシタン ウズベキスタン

IMGP8169


この人、東洋人が見たら西洋っぽいと思うだろうし、
逆に、西洋人が見たら、東洋っぽい顔立ちだと思うんだろうな。

リシタンでは、多くの人がタジク語も話す。
この「タジク語」、タジキスタンのタジク語とは違うみたいだし、
ウズベキスタン内でも、例えば、
サマルカンド=タジク語はリシタン=タジク語とはだいぶ異なるらしい。
旧ソビエト内のペルシア系言語がタジク語と総称されてると捉えれば良いだろうか。

言葉にしても、顔立ちにしても、多様な感じがウズベクの面白いところ。
と、、強引にまとめてみましょう。



▼ブログランキング参加中です。
 お一つクリック、よろしくどうぞ!
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村


日本語が飛び交う町 [リシタン・ウズベキスタン]

R0014986


リシタンの町には、日本語学校があり、
飛び入りの旅行者でも講師として受け入れてくれると聞いていた。
町に着き、「ヤポン・マクタップ」の場所を尋ねて、向かった。
道中、こんにちは~と声を掛けてくる子供たちの多いこと。
子供だけじゃなくおばさん連中も、こんにちわーと声を掛けてくる。日本語でだ。

リシタンに滞在中は、ノリコ学級の校長を務めるガニシェルさんの宅にお世話になる。
このnoriko学級を建てたのは、コマツのチーフエンジニアだった大崎氏。
ノリコさんとは他ならぬ大崎氏の奥さんの御名前だそうな。
韓国の自動車メーカーがフェルガナ地方に工場を建設する際、
コマツ製の工作機械を導入するため、大崎氏はウズベキスタンに駐在した。
その時に子供達に日本語を教えたのが縁で、ついには学校を建てるまでになったという。

以来、ウズベク国内の日本語弁論大会では優勝の常連で、
日本の大学への留学者も数十名。いま現在も10数名が留学中なのだという。

このnoriko学級が、学校ではなく「学級」なのは、ここに規則は無いから。
これは大崎氏の意向なのだという。
つい厳しく指導してしまうガニシェルさんも
「それじゃダメ、ダメ、もっと自由に」とよく言われたという。

という訳で、ガニシェルさんは僕らに対しても言った。
「教室内は、自由だから、自由にお任せします。」
「子供達にとって日本語が話せる人は皆さん先生なのです」とも。
日本語を教える、と言ったところで、何を教えたものか。
あまりピンと来ないまま、翌日教室に向かった。


初日、教室に入ると、10数名の子供。「せんせー」と元気一杯に呼んでくる。
まだ自分は先生でも何でもないんだけどな、戸惑うが、みな嬉しそうだ。
「○○です。11歳です。ノリコ学級の生徒です。リンゴが好きです。」
と代わる代わる自己紹介の挨拶をしてくれる。
ひとまず、もう一人のボランティアの先生と相談し、二人で手分けすることにした。
一人一人のレベルが違うので、あっちからもこっちからも色んな質問が飛んでくる。
ひらがなのお手本を書いたり、漢字の書き方を教えたり、と千手観音状態。

午後は、もう少し年齢層が高い。高校生以上が多い。
会話が出来るようになりたいという希望には、会話集のような質問と答えを設定した。
午後も、午前中と同じように、
この子にはこれをやって、あの子にはあれをやって頂戴、と、場当たり的な対応。
申し訳ないやら、情けないやら。


二日目、午前は5~6名ほど。ひらがなの手本を書いたり、漢字カードでクイズやったり。
昨日よりは落ち着いて出来た。午後は、打って変わって大人数。
30~40名はいるかというほど。椅子に座れない子も。


三日目、ボランティアの先生が一人増えた。
午後の授業は、またもや大人数。三人で手分け。
授業時間後は教室を掃除。掃除するのは女子だけで、男子は手伝わないようだ。


四日目、以前にも教えに来たことがある先生二人が来る。子供たち大興奮。
午後は、ひらがな教授を担当。
途中から高校生相手に、英語-ロシア語の絵付辞典で動物・植物の名前を質問。
17時前、掃除をして教室終了後、皆が僕の誕生日を祝ってくれた。
拍手や寄せ書き。感謝。
夜はガニシェルさん宅で、プロフ、ワイン、ケーキをご馳走になる。


五日目、午後は、ひらがなを教えまくり、お手本を書きまくる。
15時からは、高校生たちと会話の練習。ウズベクの写真を見ながら会話。
名所や習慣・風習。日本の祭りの話も。
今日が最終日。


と、まあ、あっという間の五日間でした。

リシタンでお会いした先生の一人が長く滞在していました。
とても生き生きとしたブログを書いてるので、是非どうぞ。
 ↓
だばい かじゃ!



IMGP8175
教室内。


IMGP8123
この街で最初に会った日本語つかい、ショヒジャホンとドドホン。
ショヒジャホンとはシャー・ジャハーンと同じ。タージマハルを建てた皇帝ですね。
ちっちゃな彼がシャージャハーンか!と、こんな些細な事実にぐっと来ます。
なお、この街ではタジク語(ペルシア系)もよく話される。


IMGP8181
ガニシェルさん宅での夕食。




▼ブログランキング参加中です。
 お一つクリック、よろしくどうぞ!
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。