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春のNORIKO学級  [ウズベキスタン・リシタン]




というわけで、春のリシタンに戻ってきたわけですが、
リシタンといえばNORIKO学級です。
学級の詳しい模様は以前お伝えしたので、こちらを参照→ぽちっとな

4月のNORIKO学級は、
5月に行われる予定のウズベキスタン全国の日本語弁論大会
に向けた準備でみんな頑張っていました。

日本語がそれなりに喋れる子供たちは、
数分のスピーチ原稿を練り上げて、
何度も練習、発表、練習、発表を繰り返します。

まださほどしゃべれない子も、指をくわえて眺めているだけじゃありません。
本大会で行われる団体の出し物の練習に加わります。

何週間、何ヶ月もかけてみんな頑張って練習しました。



その後、タシケントで行われる本大会には参加できませんでしたが、
結果は大成功。
スピーチ大会の10~15歳の部では、
NORIKO学級の子供が1、2、3位を独占しました。




本大会前に、ノリコ学級内で予選会をしました。




出し物も予行発表。




みんな頑張りました。




入賞者の表彰。




記念撮影。



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リシタンの青あんず




久しぶりのリシタンは春でした。
雪つもる冬にも訪れたリシタンは、
日本語を教えるNORIKO学級がある街です(前記事参照→ポチっ

春、僕が着いた頃には、咲き誇るような杏の花はもう終わっていて、
そのかわり、街の至るところの木々には青い実がドッサリと成っている。
この青杏に塩を付けて食べると、ちょうど梅干みたいな良い塩梅なのです。

これを子供たちは皆、もいでパクパク食べています。
クラスが終わって外に出たときなど、皆めいめいに手のひらに載せて持ってきてくれます。
ある時、青杏をたらふく食ってノドが乾いたので水を飲んだら、眠くなりました。
そのまま昼寝をしたら、夕飯の時間になっても起き上がろうにも立ち上がれないのです。
結局立上がれたのは翌朝です。
春眠暁を覚えずにしては身体が重すぎる、と思ったものの、
後で聞いた話では、杏を食べたあとに水を飲むのはご法度だったようです。



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蒼い気分  [タシケント]




早朝、タシケントに着。
夜はまだ開けない。 ベンチに腰掛けてジャンパーを取り出す。
こんな時に、「ああ、またこんなとこまで来ちゃったんだな」 という気分になる。
この街にはすでに一度来ているのだが。場所は関係ないらしい。
早朝の暗闇に一人ぽつんと座っている状況がそう考えさせる。
寝ぼけた頭では新しい世界を理解するのが難しいのだろう。
ぼんやりと待つしかない。夜が明けて、世界がじっくりとしみ込んでくるまで。

タシケントでしなきゃいけないことは多くない。
唯一イランビザの申請だけだ。 
地下鉄に乗り最寄りの駅から歩いて数分の所に大使館はある。
途中の通り雨でびしょ濡れになった僕に向けて
門番の任にあたっている警官二人は、きつい表情を投げかけた。
それでも、挨拶の言葉を交わし、タバコを各々に一本ずつ手渡すと、
彼らも相好を崩し、内部と連絡を取った後、程なくして中へ通してくれた。
事前にイランの旅行会社に依頼していた書類のFAXはしっかり大使館に届いており、
簡単な書類を一枚記入するだけで、手続きは完了。
領事はおだやかで紳士的だった。

あとは、一度通っている道のりを行くだけだ。
タシケント郊外の乗合タクシー乗り場で車を見つけ、人が集まるのを待ち、
コーカンドの街に着いたのは既に日が暮れてのち。

リシタンの町に着いた頃には、文字通り真っ暗だった。
リシタンは中心を外れるごとに街灯もなく、一本道なのに迷った。
目指す家にたどり着いて、懐かしい面々と再開したときに、
やっと一息つけた。



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タジキスタングルメ5  プロフ



食堂プロフ
言わずと知れたタジクの国民食。え?どっかで聞いたセリフですって?
ええ、そうですとも、ウズベキスタンでも国民食です。
ま、この辺り一帯でみんなが愛する料理ってことですね。
ざっくり説明すると、米と羊と脂とにんじんを炒めたのちに炊いたもの。
刻みネギなどと一緒に食べる。ウマイ。
木曜日はプロフの日だと言うが、礼拝日=金曜日の前日だからだろうか。





家庭プロフ。
ウズベク人の家庭に泊めてもらった時に頂いたもの。ご馳走様でした。



以上、タジク(で食べた)料理紹介でした。

どうでしょう?
タジキスタンにぜひ食べに行きたい!という人が一人でも増えてくれると嬉しいですが。



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タジキスタングルメ 4  ロシア的なもの 



タジキスタンで思わずジャケ買いしてしまったアイスクリーム。 
その名もCCCP=ソビエト社会主義共和国連邦
(Союз Советских Социалистических Республик)

一瞬ホイップクリームかと思うほど濃厚にしてふわふわなアイスクリームでした。
1.5ソモニ≒30円






言わずとしれた、ボルシチ。紅いですね。






以前も紹介した、ビフシュテク(Бифштекс)は、
ビーフステーキという英語が語源のようです。こちらの方がうまそうに見えます。
あいにく目玉焼きに隠れてるけどハンバーグステーキです。
付け合せ数種を皿いっぱいに載せて供されます。
ビフシュテク+チョイ(茶)+ノン(パン)で11ソモニ≒250円程


→つづく


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タジキスタングルメ3  中華およびウイグル風

2011.11.23 ・麺が好き
ドゥシャンベである時、バス停のベンチに腰掛けていると、
「ニーハオ」と声を掛けられた。
ああまたか、と思い、適当に返事をしておいた。

というのも、タジキスタンには中国人が多い。
中国政府の援助で行われている大規模公共工事のため、
労働者が大挙して押し寄せているし、
首都ドゥシャンベにも中国の関与は顕著で、
「中塔友好車」と車体に書かれた贈り物の市内バスが走り、
街路に置かれているゴミ箱は中国の都市でよく見かけるものだったりする。
おのずと首都ドゥシャンベには労働者のみならず
商用や留学で訪れる中国人も多いようだ。
そのため、街を歩いていると1日10回くらいニーハオと声を掛けられるのだ。

その時も適当に受け流そうと思っていたものの、
聞いていると彼は、「ヤーキタイ。ヤーウイグル。」と、たどたどしいロシア語で言った。
「わたしは中国人だ。 わたしはウイグル人だ」と言ったのだ。
ウイグル人の留学生だった。
なんと、本物のニーハオ。挨拶をくれていたのだった。
その時は、ああウイグル人が国外へ出ると中国人と名乗るものなのか、
と感慨深かったものだ。

タジクにいる間、僕はよくハンチング帽を被っていたのだけれど、
そうした外見からか、ウイグル人か?と聞かれることがしばしばあった。
そんな認識が定着するほどに、タジク国内のウイグル人は多いのだろうか?
今となっては件のウイグル人学生からもっと話を聞いておけば良かったと悔やまれる。




ドゥシャンベ市内のゴミ箱。中国の都市にあるものと同じだ。




っというか、料理の話でしたね…




じゃ、気を取り直して、
タジキスタンで食べた中華とウイグル料理の話。






牛肉麺
中国人の多いドゥシャンベ市内の中華料理屋ゆえに期待したが、
ソフト麺のような食感に、失望した。
せっかくだから中国人らしき店主に挨拶しようと思っていたものの、
店主はチラチラこちらを伺うものの目を合わせようとはしなかった。
不出来な料理を出したことに対して、メンツが立たないと遠慮したのかも知れない。






ガンファン。
ドゥシャンベの街中では「ウイグルスキー・ラグマン=ウイグル風ラグマン」
の看板を掲げた店を散見する。
(やはりウイグル風がウマイってのが定評なのだろう。
 日本で言ったら「元祖」。仙台風牛タンって語感かな。)
その一軒に入ってみたものの、あいにく麺は売り切れだということで食べた、ガンファン。
ガンファンとは、ラグマンの具をご飯の上に掛けたものを指すが、
語源はなんだろう?蓋飯が訛ったものか? 

この店では、僕のことを中国人と認識したらしいタジク人店主が、
「『ガンファン』とは、どういう意味なのだ?」と聞いてきた。
ウイグル人で無くとも、「ウイグル風ラグマン」の看板を掲げるのはご愛嬌か。


→つづく


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タジキスタングルメ2  クルトーブ


クルトーブ。ドゥシャンベにて。この辺りのご当地メニュー。
パイ生地のようなナンを重ねて、ヨーグルトや野菜などを和えたもの。
なぜか、とにかく巨大な量で供される。
これで7ソモニ≒170円、チョイ(茶)3ソモニ。




もいっちょクルトープ。こちらは更に巨大です。
ちなみに急須、湯のみ茶碗の寸法は日本のものと大差ないです。
僕は食べ物を粗末にはしない方だと自負してましたが、これは食い切れませんでした。




おまけにシャウルマ。
シャウルマとは、いわゆるドネル・ケバブと同様のもの。
都会でよく見かけるファーストフードだ。
入ってきた経由地によって呼び方が異なるのだろう。アラブ語とトルコ語の違いか。
ドネルと同様、重ねた肉の塊を回転させながらあぶる。
その肉を野菜と一緒に生地で巻いたものがこれ↑
こういうファストフードの店は、夜遅くまでやってるので重宝した。
お値段6ソモニ≒140円程。
上のクルトーブに比べると小さいですがお高め。肉ですから。


→つづく


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タジキスタングルメ1  肉感的なもの

さる11月11日のサッカー日本代表、ワールドカップ予選の対タジキスタン戦前には、
「テロ、疫病、極寒の三重苦との戦い」などとも報じられてましたが、
そんなに酷いところじゃあありません、タジキスタン。

だいたい、冬を比べても湿気の高い東京の方が体感気温は低いわけだし。
まあ、過酷な状況に負けるな、頑張れニッポンの方が盛り上がるのでしょうが…

ってことで、一人でも多くタジクファンが増えることを願って、
タジキスタンで食べた料理を一部紹介します。






「ショルポ」とは、ペルシア系言語でスープを意味する。
羊の肉を人参やじゃが芋などの根菜と一緒にじっくり煮込んだスープ。
こってりダシが出ていて肉もやわらかい。
僕の記憶ではこれが一番タジクっぽい食べ物。隣国に比べてこちらのものは濃厚だ。
たいがいどこのメシ屋でも食べられる。というか、これしか無いということも多い。







シャシリク。 言わずと知れた串焼です。
ミンチ状のものが多いのは、中央アジア共通。
付け合せの酢をかけた玉ねぎとは、たまらなく相性が良い。







ラグマン
アフタバグザール=バス・タクシーターミナルの食堂にて。
肉汁=ショルポの中に麺をぶちこんみ、スメタナと香草を掛けたもの。
ドゥシャンベで食べたラグマンの中で一番うまいと感じたのも、濃厚ショルポのおかげだろう。


→つづく。


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アーリア人のタジク人。





タジク人は「アーリア人」である。
ってことは、タジキスタンの民族主義の軸になっているようだ。

「アーリア人」というと、実体のない概念ではないものの
近代の西欧列強の覇権争いや植民地主義と無縁ではなかったわけで、
西洋が東洋を把握・掌握する過程で、爆発的に拡大解釈された概念と言えるか。

インド・ヨーロッパ語族の研究は、共通祖語を話すアーリア人の存在を
「発見」するに及び、英国によるインド支配の正当化に貢献している。
カースト制度の支配階級はアーリア人。イギリス人も同じ印欧語族。
だから英国は印度を支配する権利がある。という論法。
ナチスドイツでは、高貴なるアーリア人の中でも
最も純粋な末裔であるゲルマン民族こそが、世界を掌握する正統性を持つ
と唱えた訳だから、これも前者の応用・発展形と言えるか。

もちろん、今ではそうした誇大妄想的な学説は斥けられていて、
現在アーリア人というと、もっと限定されたインド・イラン系を指して使われるくらいだ。

そして、そのような現代的な意味での「限定アーリア人」を
タジキスタンが名乗ることは、間違っちゃいないだろう。
アケメネス朝やソグド人以来、タジク領ではペルシア系言語の話し手が住んでるわけだし。

で、タジキスタンの場合はといえば、実際にタジク国内で見聞きしたのは、
「拡大アーリア人」的な壮大な物語がメインなのだと感じた。
ま、民族主義の高揚のためには
壮大な物語をぶち上げた方が景気良いしカッコ良いですしね。

博物館にいけば、タジク民族史はアーリア人の歴史として、明確に描かれているし、
その説明の為に、イランのペルセポリスやアレキサンダー大王まで、
要は、タジクに関連のある西方的なものが総動員されているわけです。
そもそもタジキスタン国旗はイラン国旗と同じ色使いをしているが、
これも強烈な意思表明と見える。

そう、現代タジク民族主義はペルシア文明と切り離すことは出来ない。
ペルシア王朝史に連なるサマン朝のイスマイル・サマニ
(タジク語では「イスモイリ・ソモニ」)
を民族の英雄として据え、首都の中心には大きなソモニ像が建っているし、
通貨単位までをも「ソモニ」に変えてしまったほどだ。
この栄光のサマン朝の首都ブハラは、
現在ウズベキスタン内にあるもんだから、ややこしい。

タジク人はよく
「タシケントはウズベク人の街だが、ブハラ、サマルカンドはタジク人の街だ」と言う… 
いけいけ民族主義も必要なのだろうが、
他人の土地を心の故郷だなんて言いはじめたもんだから
収拾つかなくなってる感がある。


それにしても、アーリア人のタジク人がロシアに出稼ぎに行って、
非アーリア人のロシア人の鉤十字=ネオナチどもに狩られているとしたら、
これもまた皮肉。




tajik.png

 ↑
イラン国旗とタジキスタン国旗。どっちがどっちでしょう?
 ↓

iran.png




[こたえ: 上がタジキスタン国旗。 下がイラン国旗。]





前にもお伝えしたようにヘレニズムの最東端は、現タジキスタン領内。 
@フジャンド博物館




なぜかペルセポリス。「アーリア人」としての歴史の説明には不可欠なんですね。 
@フジャンド博物館



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女子写真@パミール・タジキスタン

IMGP8706



パミールからドゥシャンベまでの道中で出会った二人。
働きに行くのだと言っていた。
働くのが首都のドゥシャンベなのか、その先まで行くのかは聞かなかった。





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