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アグラ登城日記(下)

IMGP1009
[アグラ城内]


さて、アグラ城の今日見る形は、
5代目のシャー・ジャハーン帝による増改築を経てのこと。
シャージャハーンの時代にインド・イスラムの折衷文化は栄華を極めた。
彼の手がけた建築物は、それを物語るに十分足りる。

シャー・ジャハーンは建築狂だったようだ。
アグラ城改修、タージマハル建造、デリー城建築などの大事業を次々とやった。
タージマハルは、愛妃を亡くした翌1632年から建立が始まり、
22年後の1654年に完成する。
彼はそれと並行して、1638~1648年の間デリー城の建築を行い、
その完成の10年後、デリーへ遷都している。

しかし、彼はなぜタージ建立と並行してデリーに城を造ったのか?
言葉を換えれば、
彼はなぜ、最愛の妃を葬るタージマハルから離れ、デリーへ行こうとしたのか?
悲しみ極まったあまり、アグラの地を離れたかったのか?
はたまた、デリーに新しい女でも出来たのか?
(手元の資料が乏しいので憶測ばかりで申し訳ないのだけど)
謎である。


ところで、デリー遷都の1658年は、
シャージャハーンの息子アウラングゼーブが、
兄弟との争いに勝ち、次代の皇帝として即位した年でもある。
この時、息子は父帝シャージャハーンをアグラ城に幽閉している。

幽閉されたシャー・ジャハーンは、74歳で死去した。
晩年の8年間をアグラ城からタージマハルを眺めて過ごしたと言われる。
彼が、アグラ城からタージマハルを眺める時、悲しさを感じたことは確かだろう。
が、それはひとえに亡き王妃を思うゆえであっただろうか?



IMGP0987
[城内建築内部]


IMGP0949
[楼上よりタージマハルを望む]


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