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レーへ。

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ジュンさんに手紙を出すためにレーに行きたかったのか?
今までそんなことは考えなかったが、そうだという気がしてきた!

ジュンさんの絵葉書で見たレーの写真は今でも覚えている。
あ~こんな所に行きたいな、と、ずっと思っていた。
インドで今回一番来たかったのはレーだったんじゃないか?
来たいとは思っていた。でも、手紙を書く事までは想像していなかった。
誰かに手紙を書くために、どこかへ行くってのも素敵なことかも知れない。

ジュンさんとは、5年前にハノイの宿で出会った。
5歳年上のジュンさんは当時31歳。
ジュンさんと初めて話したのは、
夜、寝つけず、ドミトリー外の踊り場でひっそりと、
漱石を読んでいたときだった。
何を読んでいるの?と声を掛けられたのをきっかけに、
彼も日本の小説を読んでいるんだと知った。

韓国での学生運動世代なので、主知的な考えを持っている。
色んな分野の本を読んでいて、バックパックにも30冊ほど積んでいた。
ある日、MP3に入っている「インターナショナル」等の運動歌を聴かせてくれた。
彼にとって学生運動時代は青春だったのだ。
嬉しそうに、懐かしそうに、曲を聞かせてくれた。
彼は今、行き場を失ってしまっているのかも知れない。とも、そのとき思った。

僕らは宿の近くで安くて薄~いビヤホイ(自家発酵ビール)を何杯も飲んでから、
スーパーでベトナム国産コメ製のウォッカ750mlを一瓶買い、
宿で二人してガブガブ一瓶飲みつくす、という生活を毎日送った。
彼は、僕に会うまで、日本人は酒に弱いと思っていた、と言った。

同じドミに泊まっていた2週間ほどの内に、色々な話をした。
小説の話、歴史の話、日韓両国の話、野球の話、落合博満の話、
剣道の話、学生運動の話、軍隊生活の話、等々。

ある朝突然、女の子が部屋にいたらどうだろう?って話をした。
村上春樹だったらこう表現するよね。村上龍だったらこう。
太宰だったらこうだよね。なんて他愛も無い話で盛り上がった。
ハノイの宿の屋上で、ベトナム産ウォッカを飲みながら。
毎夜、話題が尽きることが無かった。

ハノイで、南へ行く彼の出立を見送った。
ほどなくして僕もハノイを後にし北上、ひと月ほどして日本に帰った。

その後も旅を続けたジュンさんは、僕に何通も絵葉書を送ってくれた。
タイから、カルカッタから、レーから、カラコルムハイウェイから、
絵葉書の裏には、几帳面に、小さくぎっしりと書きこまれた文字で埋まっていた。
僕は帰国後、慣れない仕事や日々の忙しさを言い訳に、次第に返事のメールを怠った。

数年して、まだ旅の途上だったジュンさんは東京に尋ねてきてくれた。
日本滞在中、数回会った。
最後の夜、金曜。
仕事帰りに新宿で飲んだとき、しこたま酔って記憶をなくしてしまった。
自分だけが酒に弱くなったことを思って、悲しくなった。

08年の3月に初めて韓国を訪れた。
31歳になった自分が、当時31歳だったジュンさんに尋ねたかったからだ。
正直なところ、他のことはほとんど覚えていない。
ただ、当時31歳だったジュンさんに何かを尋ねたかったんだ。

ジュンさんはその後、結婚し、
東京でいえば青山のようなおしゃれな場所にカフェバーを経営するようになっていた。
電話すると、忙しそうだったので、比較的ヒマな土曜の夜に店を訪ねることにした。

久々に会ったジュンさんは変わっていなかった。
二人して店の酒を何本も空け、家にお邪魔したあとも、
土産に持って行った日本酒を二人で空け、宅にあった蒙古酒も空けた。
奥さんが、つまみにトッポギを作ってくれた。
三人でオンドルで温い床の上に座りながらつっつきながら飲んだ。
何を話したのか、はっきりとは覚えていない。
でも、その時に旅に出ようと決めたのだけは覚えている。

今回の旅で一ヶ国目を韓国にしたのも、
ジュンさんに挨拶してから行きたかったからだ。

やっとここまで来た。
いままでのありがとうや、ごめんなさいの全てをひっくるめて、
レーから、絵葉書を送るんだ。



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