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シルクロードのすすめ2 [テュルク/トルコ人]下

「トルコ人」と言うと、こんなイメージでしょうか?
 ↓

アリニール・セルカン



もしくはこんな、
 ↓

イルハン



最初の写真は、先日東京大学をクビになったアニリール・セルカン氏
二番目のは、トルコ代表サッカー選手イルハンですね。



「トルコ人」というと、いわずもがなトルコ共和国の国民のことです。
総人口7400万人中、トルコ語が母語の人口は6000万人と言われます。

ところで、
このトルコ語(Turkish language)を含む言語グループとしての
テュルク諸語(Turkic languages)を話す人口は、ざっと1億5千万人ほどいます。
このテュルク諸語を話す人たちの分布を見てみると、



 ↓テュルク諸語の分布地図
Turkic_language_map3



ご覧の通り、ユーラシア大陸に広く分布していることが分かります。
東はロシア内のサハや中国内のウイグルから
西はアナトリアのトルコ、欧州のブルガリアなど。

このテュルク諸語はアルタイ諸語というグループに属するとされます。
つまりチュルク諸語、モンゴル語、ツングース語(満洲語等)を含むグループ。
日本語や朝鮮語も学者によっては含んだり含まなかったりしますが、
チュルク諸語と日本語とは、共通の語彙こそほぼ無いものの、
語順及び「てにをは」で文章を組み立てる構造など、文法的にはそっくりです。



 ↓アルタイ語の分布地図
Altaic_family



さて、テュルクの歴史の話。
テュルク諸語を話す集団の起源は、モンゴル高原だと言われます。
遠い遠い昔、モンゴル高原に住んでいた遊牧を生業とする集団は、
世界史の教科書なんかでは「テュルク・モンゴル系」と呼ばれています。
「テュルク・モンゴル系」って、何だかアンニュイな言い方ですが、
モンゴル語がはっきりと確立されるのは13世紀頃のことで、
それ以前については両者を厳密には分化できないようです。

ところで、その「テュルク」を指すと思しき集団は、
両者がはっきりと分化出来る以前から史料に登場します。
漢語資料で、紀元前に現われた「丁零」をさきがけとしますが、
その後に現われた「鉄勅」「突厥」など、
いずれも「テュルク(Turk)」を音訳したものです。
ちなみに唐末の漢語では、
[突厥]を [t'uer kuer]、
[鉄勒」を [t'er lek]
という風に発音したと言います(藤堂明保)。


 
このテュルク系民族が長い歴史のなかで、
西へ西へと移動し、国を建てるということを繰り返し、
現在のトルコやブルガリアにまで至ったわけです。
テュルク系民族が西へ移動したルートですが、ざっくり大別すると二つありました。
シルクロードのステップ路とオアシス路です。

シルクロードは、カスピ海及び黒海の北のステップ路と、
その南方の乾燥沙漠地帯に点々と連なるオアシス路がありますが、
テュルク語を話す集団もこの二つのルートを通って移動しました。

北ルートを行ったテュルクでは、ブルガール人があります。
現在ロシア内のタタルスタン共和国のタタール人や
東欧のブルガリアのブルガリア人の基となった集団です。
それ以外にも、ヨーロッパで大暴れしたフン族は、
漢文の匈奴(テュルク・モンゴル系)と同一との説もあります。
ちなみにハンガリーのマジャール人はフン族の末裔を自称してもいます。
また「匈奴」は中国の古音で [Hun na]と発音したとの説があります。

いずれにしても、フン族やブルガール人がヨーロッパに現われたのは、
それぞれ4世紀、7世紀とだいぶ古い話です。
ステップ路はかなり古い時代から、
遊牧民たちが西へと移動する主要ルートであり、最短距離だったのでしょう。

一方、オアシス路はというと、
テュルクがこちらへ進出したのはもっと後の時代です。
もともとオアシス路が通っている辺りは、
ペルシア世界とも言うべき土地であり、ペルシア語系の人々が住む地でした。
特に、シル川とアム川に挟まれたオアシス地帯を指して、
ペルシア語ではソグディアナ、トゥラン、
アラビア語ではマーワラーアンナフル(川の向こう側の土地)、などと呼びますが、
ソグディアナとは、文字通りペルシア語系のソグド人の土地のことです。

この一帯は、ササン朝の時代まではペルシア世界に属していましたし、
アラブ・イスラムによる征服後、久々に興ったイラン系国家のサーマーン朝も
現ウズベキスタンのブハラに都を置き、ソグディアナを支配しました。



 ※以下、領土が小さい方がサーマーン朝、大きい方がササン朝の地図です。

 ↓サーマーン朝(873-999年)の領域。       ↓ササン朝(226-651年)の領域。
Samanid_dynasty_(819–999) Sassanid-empire-610CE



テュルク勢力は、AD1000年くらいを境にして、ペルシア世界に続々と進出します。
その後、数百年を掛けてイスタンブールまで至ります。
ペルシアの大詩人フェルドウスィーが 「シャー・ナーメ=王書」で
イラン(善玉)×トゥラン(悪玉、アム河の向こう側)の角逐を描いたのもAD1000年頃のことです。
それから1000年に渡るオアシス世界の歴史は、
ペルシア世界がテュルク勢力によって新たな色を塗られていく過程だったと言えます。

現在、ペルシア語圏としてはイランの他、アフガニスタン、タジキスタンが残ります。
一方、テュルクの土地ということで、中国内新疆ウイグルを [東トルキスタン]、
旧ソ連圏の中央アジアの大部分を [西トルキスタン]とも呼びます。
このテュルクの土地=トルキスタンに、
現在どれほどペルシアの影響が見られるか?ということも興味を引く問題です。



長くなりましたが、今回の旅で自分が通ってゆくのは、
シルクロードの2番目に挙げたオアシス路です。
東から西に行くにしたがって、人間がどのように変わって行くか?
このテュルクと呼ばれる人たちを追いながら、見て行きたいと思います。 
東から西へ徐々に移動していく中で、
顔付、言葉、食べ物、風習など、どんな風に変わっていくか?楽しみです。



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