三都物語 [カザフスタン]
2010.12.25
▲カザフスタン
カザフスタンの地名ってカッコいいんですよね。
“ガラガンダ”とか、“ジェズカズガン”とか、なんだか勇ましい感じ。
濁音が多いからなのかな?
クズルオルダに立ち寄ったのは、響きにひかれたのもあるかも。
でも、一時期首都だった街がどんなもんか?見てみたかったのだ。
ロシア革命後にカザフ人達が民族共和国を得てからというもの、
カザフスタンの首都は転々としている。
1920年 オレンブルグ (のち街自体がロシアへ帰属変更)
1925年 クズルオルダ
1929年 アルマティ
1997年 アスタナ
北西端のオレンブルグ→中央部クズルオルダ→東南端アルマティ、と
ロシアから「文明化」が及んできたルートと重なると言えるだろうか。
その昔、カザフステップには、
小ジュズ、中ジュズ、大ジュズと呼ばれる部族連合体があったが、
それぞれ順々にロシアの支配下に入っていった。
最初、西北部の小ジュズが1731年にロシア傘下に入り、
最後、東南部の大ジュズが1865年に併合されているから、比較的ゆるやかな流れだ。
面白いことに、ロシア革命後、首都所在地も
上記のように西北部から東南部へと流れていった。
中心が移動する、というのは、古来の遊牧国家的な特徴を思い起こさせて面白いが、
現実的に、現在に至るまでなお部族意識が強いカザフスタンにあっては、
部族間のバランスを適度に取るため必要な施策でもあったのだろう。
さて、クズルオルダ。
テュルク語で、クズル=「赤」、オルダ=「王宮・軍隊」。
そのまま「赤軍」と訳せるこの街は、ロシア革命後の一時期カザフスタンの首都だった。
「赤軍」=クズルオルダという名の首都が、この地に置かれたのは、
革命家のほとんどが、小ジュズ出身者だったことも理由にあるのだろうか。
ただ、いかんせん首都としてのクズルオルダは短命に終わった。
しかも、もう80年以上も昔のこと。
今では、地方の普通の街という佇まいでしかないが、
落ち着いた街の雰囲気が気に入った。
クズルオルダ駅。
淡い色使いが心地よい。
四角い建物と四角い車とパイプライン。
伝説の英雄コビランディ・バートル(Kobylandi batyr)像。
劇場、だったかな。
モスク
大祖国戦争記念碑
大きな建物は、それほど多くない。
歩く人もそれほど多くない。
店。
郵便局。
かわいらしい
ここにもパイプラインが。
結構ものものしい。
もいっちょ
食堂の兄ちゃんと出入りの業者さん
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