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かつて都だったコーカンド的情緒 [ウズベキスタン]

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「知ってるかい?コーカンドは昔、首都だったんだぜ。」
「え~嘘だぁ。こんな地味な街が?」
なんて会話も成り立ちそうなコーカンド。
日本で言えば、小田原あたりのポジションになるんでしょうかね?
関東の雄・後北条家の首都、小田原・・・ ちょいと苦しいか。

ともかく、フェルガナ盆地に位置するコーカンドはかつて都だったが、
今は非常に地味な街である。
 
ロシアのトルキスタン征服以前、
現ウズベキスタンに都した三つのハン国があった。
ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国。
   
ブハラやヒヴァは現在、観光大国ウズベキスタンの中でも
ひと際人気の観光都市として人を集めるが、
コーカンドは、どうもやっぱり地味だ。
何故なんでしょうね?


  
19世紀初め頃、一番のりに乗ってたのはコーカンドだったはず。
清朝の回部(現新疆=東トルキスタン)征服後、
旧支配者のカシュガル・ホージャ一族はコーカンドに逃れたが、
その末裔を利用して、カシュガルへの進出を試みること幾たび。
その一方で、清の西方への貿易を独占し得たことで、
東西貿易の利潤を一手に引き受け、中央アジア最大の交易国となった。
当時のコーカンドには、多くのモスクやマドラサが立ち並び、
「優美なるコーカンド」と称されたという。

潤った財政は軍備にもあてられ、三ハン国の中では最大版図を築いた。
キルギス騎兵や最新火器を駆使して領土を拡張し、
フェルガナ盆地に留まらず、北はクズルオルダ(現カザフ)まで進出した。
  
このコーカンド・ハン国の部将にヤクブ・ベクがいる。
この人は北方前線のクズルオルダを治め、帝政ロシアとも戦っているが、
新疆(東トルキスタン)でムスリムの大蜂起が起きた時、
蜂起軍の要請を受けたハン国が、援軍として派遣したのがヤクブ・ベクだった。
彼はまず、蜂起軍が攻略に手こずっていたカシュガルをわずか100騎で落とす。
それを皮切りに、見る見るうちに新疆内の諸都市を攻略し、蜂起軍の主導権を握る。
1867年には、ついに自らハンを名乗り、新しい国を樹立するに至る。 
このカシュガル王国は、英国やロシアに国家として承認され、
オスマン帝国を宗主国として仰いでもいる。
短命ながら、独立国として存在していたのだ。
   
10数年続いた新疆動乱は結局、1877年に清朝の勝利の裡に終息し、
ヤクブ・ベクもこの年、死んでいる。 
一方、コーカンド・ハン国も、その前年の1876年
帝政ロシアに征服され、滅亡している。
他のウズベク系ハン国のブハラ、ヒヴァが、保護国として生き残ったのとは対照的だ。
イキが良いので、煙たがられて処分されたという感じだが、
ロシアが貿易の利を独り占めしたかっただけかも知れない。
(実際、少なくとも20世紀初頭に至るまでは、
フェルガナ地方の貿易高はかなりのものだったらしい。)
   
時代は降って、ロシア革命の混乱期には、
コーカンドには、ムスリムによるトルキスタン自治政府が樹立された。
そのため、赤軍の攻撃を受け、街は徹底的に破壊され、住民の1/5が死んだ。
現在のコーカンドに残る古い建物は、この時生き延びたものと言うことになる。


 
フェルガナ盆地は古来、シルクロードのオアシス路上にあり、
古くは、漢の武帝が汗血馬を求めた大宛が知られる。
東はカシュガルに、西はサマルカンドへと繋がる。

19世紀、この通商路上に露清間の国境が策定された。
さらに、ソ連解体後の各共和国独立は、
3カ国もの国境が入り組むフェルガナ盆地の交通を滞らせることとなった。
そのため分かりづらくなっているが、カシュガルからフェルガナ盆地へは、近い。
実際、カシュガルから乗ったオシュ行きのバスには、
ウズベキスタンのパスポートを持った買出し客で溢れていた。
 
言語的にも、現代ウイグル語とウズベク語はかなり近しい関係にあり、
いずれも、近代まで中央アジアの共通語だったチャガタイ語の流れを汲んでいる。

ヤクブ・ベクの時代に象徴されるように、
近代以前、タリム盆地からフェルガナ盆地にかけては、
緩やかながらも同質の文化を共有する地域が続いていたようだ。
 
とはいえ、昔は近かったものが、今は遠い。

地理的にフェルガナ盆地は、東西に顔の聞く場所にあるのだが・・・
かつて東西の交易で繁栄した頃の姿を取り戻す日は来るのだろうか?



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フダヤル・ハーン宮殿は1873年の建築。その3年後、コーカンド・ハン国は滅びんでいる。


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宮殿内。細工がキレイ。


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同じく宮殿内。なかなかポップな色づかい。


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こういう展示は、インドのバラナシ城を思い出させた。
規模的には同じく地方領主レベルと言えるか?日本で言えば10万石の殿様レベルだろうか?


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一般墓地に囲まれているマーダリ・ハン廟。


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街を東西に分けるように、運河が流れている。


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街の西側、裏の方には、古い町並みも残っている。


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金曜モスクは改修中だった。


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表通りにはやはり、こんな感じの集合住宅。


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個人的には、こういう曲線のある建物にグッとくる。


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食堂。やっぱり広々としている。


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カメラを持って歩いてると、撮ってくれと言われる。


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赤ん坊も。



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