スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アーリア人のタジク人。





タジク人は「アーリア人」である。
ってことは、タジキスタンの民族主義の軸になっているようだ。

「アーリア人」というと、実体のない概念ではないものの
近代の西欧列強の覇権争いや植民地主義と無縁ではなかったわけで、
西洋が東洋を把握・掌握する過程で、爆発的に拡大解釈された概念と言えるか。

インド・ヨーロッパ語族の研究は、共通祖語を話すアーリア人の存在を
「発見」するに及び、英国によるインド支配の正当化に貢献している。
カースト制度の支配階級はアーリア人。イギリス人も同じ印欧語族。
だから英国は印度を支配する権利がある。という論法。
ナチスドイツでは、高貴なるアーリア人の中でも
最も純粋な末裔であるゲルマン民族こそが、世界を掌握する正統性を持つ
と唱えた訳だから、これも前者の応用・発展形と言えるか。

もちろん、今ではそうした誇大妄想的な学説は斥けられていて、
現在アーリア人というと、もっと限定されたインド・イラン系を指して使われるくらいだ。

そして、そのような現代的な意味での「限定アーリア人」を
タジキスタンが名乗ることは、間違っちゃいないだろう。
アケメネス朝やソグド人以来、タジク領ではペルシア系言語の話し手が住んでるわけだし。

で、タジキスタンの場合はといえば、実際にタジク国内で見聞きしたのは、
「拡大アーリア人」的な壮大な物語がメインなのだと感じた。
ま、民族主義の高揚のためには
壮大な物語をぶち上げた方が景気良いしカッコ良いですしね。

博物館にいけば、タジク民族史はアーリア人の歴史として、明確に描かれているし、
その説明の為に、イランのペルセポリスやアレキサンダー大王まで、
要は、タジクに関連のある西方的なものが総動員されているわけです。
そもそもタジキスタン国旗はイラン国旗と同じ色使いをしているが、
これも強烈な意思表明と見える。

そう、現代タジク民族主義はペルシア文明と切り離すことは出来ない。
ペルシア王朝史に連なるサマン朝のイスマイル・サマニ
(タジク語では「イスモイリ・ソモニ」)
を民族の英雄として据え、首都の中心には大きなソモニ像が建っているし、
通貨単位までをも「ソモニ」に変えてしまったほどだ。
この栄光のサマン朝の首都ブハラは、
現在ウズベキスタン内にあるもんだから、ややこしい。

タジク人はよく
「タシケントはウズベク人の街だが、ブハラ、サマルカンドはタジク人の街だ」と言う… 
いけいけ民族主義も必要なのだろうが、
他人の土地を心の故郷だなんて言いはじめたもんだから
収拾つかなくなってる感がある。


それにしても、アーリア人のタジク人がロシアに出稼ぎに行って、
非アーリア人のロシア人の鉤十字=ネオナチどもに狩られているとしたら、
これもまた皮肉。




tajik.png

 ↑
イラン国旗とタジキスタン国旗。どっちがどっちでしょう?
 ↓

iran.png




[こたえ: 上がタジキスタン国旗。 下がイラン国旗。]





前にもお伝えしたようにヘレニズムの最東端は、現タジキスタン領内。 
@フジャンド博物館




なぜかペルセポリス。「アーリア人」としての歴史の説明には不可欠なんですね。 
@フジャンド博物館



▼ブログランキング参加中です。
 お気に召しましたら、お一つクリック、よろしくどうぞ。
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://tabinomanimani.blog24.fc2.com/tb.php/268-74d6cafc 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。