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ブハラ・ユダヤ人  ~中央アジアのディアスポラ~


[サマルカンドのシナゴーグ。]



サマルカンドの宿で知り合ったイスラエル人と一緒に散歩している時、
彼はふと足を止めた。 辺りは何もない丘の上の一本道。
なんだ?と思って、
その視線の先を見やると、墓地の門にダビデの星が掲げてある。
その時、かくも目ざとく見つけられるのも、強い同胞意識の表れかな、と感心したものだ。

アフロスィヤーブの丘の上には、広大なユダヤ人墓地がある。


また街中には、シナゴーグが綺麗に保存されていて、
今では博物館となっている。内容はかなり充実していた。
その充実ぶりは、さすがユダヤのお金持ちが出資したんだろな、と思うほど。

かつて、中央アジア在住のユダヤ人は15万人にものぼったという。
古代ペルシアのキュロス大王によってバビロンから解放されたユダヤ人は、
アケメネス領内に大勢移り住んだと言うから、同じく領内だったこの辺りまで移住したのも、
よく考えて見れば、不思議でもないのか・・・
それにしても、意外だった。

近代直前には、その多くがブハラ・アミール国に居住したことから
彼らは「ブハラ・ユダヤ人」と呼ばれている。
(ブハラ・アミール国=ブハラを首都としたからこう呼ばれるが
 サマルカンドも領有していたのだ。)

古写真で見る限り、彼らの外見は相貌も服装も
他の現地人のムスリム達との違いは見出せない。
日常使われる言語も土着化していたようだ。(wiki ブハラ語
ただし、祭礼儀式に使われる聖書などは、見まごうことなきヘブライ語だった。

ソビエト連邦の崩壊後、
15万人いたブハラ・ユダヤ人のほぼ全てがイスラエルなどへ移住し、
今や数百人ほどが残るだけのようだ。

のちに訪れるブハラでは、
今もその地に住んでいるユダヤ人の話をこぼれ聞いたが、
それはまた後の話ということで。



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