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ティムールという男の話  【ウズベキスタン】

ティムールという男の話をしておかなきゃなりません。

このテュルク語で「鉄」を意味する名前を持つ男は結構いるのですが、
さしづめ日本で言えば太郎ってとこですかね? いや、太郎は逆に希少ですかね…





この人も、
060803_01.jpg





この人も、太郎です。
kuidaore-1.jpg





いや、ティムールです。











以前、タジキスタンの英雄、イスモイリ・ソモニの話をしましたので、
ウズベキスタンの英雄、アミール・ティムールの話もしなければフェアじゃないでしょう。

両者の共通点は、ざっくりいえば、
ソビエト連邦時代にはレーニン像が建っていた場所に
タジクだったらソモニ像、ウズベクだったらティムール像が建っていること。
つまり、ソ連解体、独立後に国民統合のシンボルとして採用されたヒーローなのですね。

タジクの項で以前お伝えしたとおり、
ソモニが統治者だったサマン(ソモン)朝は、
現ウズベキスタンのブハラに都していました。(→ぽち
タジク政府(というか、ラフモン大統領)は、
隣国ウズベキスタンの街であるブハラを首都に置いたサマン朝の英雄を英雄としてしまった。
国境が一度確定している国にあって、こういうことをするのは反則というか、
事態をややこしくするだけなような気もします。
っていうか、喧嘩売ってるんじゃないのか? と疑いたくもなります。

そもそも各民族共和国の区分ができる近代以前、
タジク語とウズベク語は都市においてはごく普通に共存していたし、
両民族の間に明快な国境を引くことが難事業だったわけですし、
本来、民族として分けるという行為自体が難い人々だったことは、
これまた以前お伝えしたとおりです(→ぽち)。

しかしまあ、一旦異なる民族として出発し、はや80年。
お互いに異なるアイデンティティを確立し、
お互いに罵る言葉を聞くことも少なくありません。
(タジク人がウズベク人に対しての場合が多かったが。
 そして、
 タジクにおいては政府がかなり煽っているような印象を受けざるを得ないのだが。)



とまあ、そんなタジクの英雄ソモニに関わる難点は多そうですが・・・
今回はチムールくんの話です。

チムール (タメルラン←西欧史料でこうも呼ばれる)は、
現ウズベク領内シャフリサブズ辺りで
モンゴル貴族の家系(バルラス部族)に生を受けた人物です。
彼はかつて広大な領土を誇ったモンゴル帝国を再現するかのように、
一代で大帝国を築きます。
このチムール朝は、チムールがひろげた大領土を縮小・分裂しつつも16世紀まで続く。
(1370年-1509年)

余談ですが、チムールは現代でこそウズベク人の英雄ですが、
ウズベク「族」というのは、チムール朝は滅ぼした部族なんですね…
現代ウズベク人の民族名の元となったウズベク族は、
現代ウズベク人の英雄であるチムール帝国を滅ぼした、
という奇妙な関係、というか皮肉な関係にあるのですが・・・

ま、チムールは別格ですからね。
世界史上の人物として横綱級です。
レーニン亡き後の国の象徴として、ぜひにとオファーが掛かったのも当然っちゃ当然です。

チムールの版図が、どのくらい大きかったかって話ですが、
世界史上の大帝国というと、
モンゴル帝国、帝政ロシア、アケメネス朝ペルシア、アレクサンドロス帝国、
オスマン帝国、ローマ帝国、大唐帝国、大清帝国、大英帝国、などなど思い浮かびます。



アレクサンドロス帝国
MacedonEmpire-1.jpg



モンゴル帝国(チンギス時代の領土はこの一部ですが)
Mongol_Empireaccuratefinal.png



ティムール帝国
Das_Reich_Timur-i_Lenks_(1365-1405).gif



が、しかし、一代で築いた帝国としては、
チンギス、アレクサンドロスに並ぶ規模ではないでしょうか? まさしく横綱級です。


チムールは後代の歴史への影響や地理的な広がりを考えても、偉大すぎます。
築いた大版図の各地から職人を呼び寄せ、
首都サマルカンドを中心に大建設が続けられます。
各地の様式を継承した上、進化発展させたテムール朝の建築は、壮麗の一言です。

チムール朝が滅びて後、ものの20年もしない内に、
王族の一人バーブルは中央アジアを諦めて大転進。
インドはデリーに侵攻し、ここにムガル帝国を建国しています。(→ぽち
タージ・マハルに代表されるインド・イスラム文化はここで花開くきっかけを得ました。
初期のムガル朝では、ペルシア語に並んでチャガタイ語(テュルク語)も使用されましたし、
バーブル自身の著書「バーブル・ナーマ」はチャガタイ文学の傑作とも言われます。
もちろん当地の言語にも影響を与えていて、
ムガル宮廷言語を基にしたウルドゥ語には特にその跡を見ることが可能なようです。
(ウルドゥ=宮廷・軍隊←これ自体がテュルク語らしいです)

中央アジアと南アジアは、現代の地理感覚から言うとなかなか繋がりにくいですが、
歴史上では現アフガニスタンを挟んで、不断に行き来があった地域でもあるんですね。
ただ僕の場合は、大迂回をしてやっとサマルカンドに着いたのですが…、
デリー、アグラオシュ(フェルガナ盆地)と、
バーブルに縁の場所いくつか訪れた後だけに感無量な感じです。

チムール建築を初めて見たのは、カザフスタンのホジャ・アフマド・ヤサウィ廟でした。
デカイ! の一言でした。
未完のままの建築で、それゆえ荒々しさもありますが、
その大きさから、とてつもない企図を感じた覚えがあります。

そんな色んなものがついに繋がったサマルカンドです。
そして、その繋がりの象徴がチムールだったりするわけで、個人的に。

チムールが、どかーんと一度広げた世界が、
ぎゅっとこの一箇所に集まっているような、そんな感じです。
サマルカンドを歩く度に感じていた気分は、そんな感じです。

ってことで、
長い長い前置きしたでしたが、
次回、サマルカンドの建築案内です。



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