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サマルカンド建築案内 第一回 【アフロスィヤーブの丘】





アフロスィヤ-ブの丘は、旧城市跡。
かつてのソグド人の都はここ。アレキサンダー大王が攻略したのもここ。
ギリシア語史料にマラカンダと記された頃のサマルカンドはここってことですね。

フジャンドが東端のアレクサンドリアであるらしいことや(→ぽち)、
ここサマルカンドでアレキサンダー大王にプロフが饗されたらしいことは(→ぽち)、
以前にもお伝えした通りですが、
ついに僕もここにやってきたわけです。

中華世界からは「康国」として知られましたが、
敦煌の莫高窟にもソグド文字による書が奉納されていたことも以前お伝えしました。(→ぽち
いや~、ますます色々なものが繋がってきましたね。



これは在りし日の姿です。(ネット上で拾ったイメージ図。)
afrasiab1-1.jpg

アフロスィヤーブと玄奘も訪れた砕葉=スイヤブ(ソグド・突厥の都市。現キルギス)は、
響きが似てると思っていたが、ぐぐってみたら、
それぞれ語源は「afra-siah-ab」→「越-黒-水」、「suy-ab」→「向-水」(→Encyclopaedia Iranika
という意味らしい。 うーん... ま、
どちらも川の向こう側ってニュアンスですね。 



ちなみにタラス河畔の戦いで、
唐朝がイスラム帝国アッバース朝に敗れたことは、この街とも無関係ではないようだ。
タラス河畔での両帝国の接触は、製紙技術を西方へもたらすきっかけとなったことで有名だが、
初期、その工場が建てられたのは、このサマルカンド旧市だとも言う。
中華世界から製紙法が飛び出して、初の工場かな?


この旧市は後、チンギスハンの軍勢によって廃墟と化して後、見捨てられた。
サマルカンドに関して言えば「チンギスハンは破壊しチムールは建設した」の謂いは正しそうだ。





丘の上からは、ティムール朝期の大建築郡を一望できる。
街中が観光客で溢れかえってるサマルカンドにあって、
この丘の上は静かだ。
ふと空想に耽りたくなった時にでも訪れてみてはいかがでしょう。





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