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北京とラサ  (チベットメモ4)

2009.02.14 ▲チベット
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北京に白塔寺という古い寺がある。
モンゴルが元朝と称した初期、皇帝フビライ・カーンは、
今の北京のもととなる都を建設し、大都と称した。
白塔寺は、その時に建立された、チベット仏教の寺である。

チベットのパクパという僧が、フビライの師となった。
以来、モンゴル人の間では、チベット仏教が大流行し、今に至る。
(ちなみに今でも、夏になるとラサには大勢のモンゴル人が訪れると聞いた。)

元朝が倒れ、明朝に変わると、モンゴル人たちは、北や西へ逃れた。

その中、西方にアルタン・カンという王がいた。
彼こそが、「ダライラマ」の名付け親である。
彼は自身をフビライに、ダライラマ3世をパクパになぞらえた。
以後、チベットはモンゴルの後ろ盾を得たダライラマの時代となる。

少し下って、満洲族による清代。
3代目・康煕帝が、内外モンゴルを討ち従えたとき、
同時にチベットもその支配下に入った。1677年のことである。

現在の形のポタラ宮が完成したのは、1694年。
工事はダライラマ5世の時に始まり、6世の時完成する。

チベット仏教やダライラマの権勢は、
初めはモンゴルの、後にはモンゴルを従えた満州族の庇護下で繁栄した。
北京とラサの関係は、なかなかに長く、強いものである。



ポタラ宮内に陳列されていたもの。
法衣を着た康煕帝・乾隆帝を中心にし、周囲を仏像が囲んでいる。
漢、蔵、満、蒙の4種の文字で
「今皇帝 万歳 万々歳」と記された牌が中心に置かれている。

ポタラ宮内の壁画。
6世だったかが、北京の紫禁城に赴き、
「西方を仏光で遍く照らすダライラマ」という称号を授かったという場面。


もちろん、ポタラで僕らが「見れるもの」は、
北京とラサの関係が近しいものだったとして、
ことさらに見せたいという展示者の意図もあるだろうが。

いずれにしても、
北京政府は、チベットを簡単に手放すことはしなそうだ。



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[こんな壁画。これではないが、ダライラマ(?)世が北京を訪れたというものもあった。]




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