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ラサ発、南へ。 (チベットメモ9)

2009.03.02 ▲チベット
R0011485

カトマンドゥまでの道中、車に同乗したのは、3人のチベタンだった。
1人は、中国籍のチベタン。(以下チョン・チ)
1人は、インド籍のチベタン。(以下イン・チ)
1人は、ネパール籍のチベタン。(以下ネパ・チ)
お互いチベット語で話すのだが、国籍は違う。
とってもインターナショナル。

ご存知の通り、チベット人は必ずしも中国・チベット自治区に住んでいる訳ではない。
彼らの分布範囲は、東は四川省・成都のそばから、西はインドのラダック地方まで、
北は青海省から、南はネパール、ブータン、北インドまでと幅広い。

ツァンパ(オートミール状のものを手で団子にして食べる)とバター茶を主食とし、
高地で遊牧を営むことを得意とする彼らは、
歴史上ゆっくりと、チベット高原を中心に広がっていった。
だから、現在画定されている国境とチベタンの分布範囲とは一致しない。



ただし、今回の3人がラサを発ち、各々の目的地へ向かっている背景は、
そうした自然発生的なチベット族の広がりのおかげ、というには程遠い。

一例として、イン・チの話。
彼のお父さん(以下イン父)は、香格里拉(しゃんぐりら。雲南省内チベット自治県)に生まれた。
当時の、一家族から一人を寺に出すという慣習に基づき、
イン父は、お坊さんになったという。
成績優秀であったイン父は、
学僧ならば誰もがあこがれる、最高峰のポタラ宮での修行を許される。

そうして迎えた、1959年。
ダライラマ14世のインド亡命に従い、イン父はインドへ渡った。
イン・チの出身地を尋ねた時、彼はそのように説明をしてくれた。

すごいのは、イン父のその後。
彼はインド亡命後、アメリカによるゲリラ養成訓練のため渡米し、
実際、落下傘部隊として参戦もした。が、作戦は3度の失敗をもって終了した。
その後、イン父はラサに絨毯工場を設立し、アメリカ向けの輸出品として成功を収める。
4年前、イン・チが老いた父の後を継いだ。
そのとき彼は、生まれて初めてラサの土地を踏み、今に至る。
イン・チは、インド籍でインドに居を構えながら、ラサで商売を営んでいる。



今年は2月25日前後がチベット正月。
正月前後の1ヶ月、彼らは長期休暇となる。
皆それぞれの実家に帰って祝うのだという。

ある者はネパールへ。
ある者はインドへと向かう。

いわゆる「チベット」は後にしたが、
まだ当分、チベットは続いていきそう。



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[中国側、国境の街ダムは、日本の温泉街のような景色。
 ここで標高3500m級から一気に2700mくらいまで下がる。]

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[ここらからインドTATA製の車が登場。故障して止まってしまった。]

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["三人寄れば文殊の知恵”とは行かず、結局ほかの車を拾った。]




★メモ
ラサから国境の街ダムまでは、ランクルチャーター1台2000元が相場。
4名乗って、1人500元(7000円程度)。
途中ノンストップで、ラサ17:00発、ダム翌朝7:30着。

ネパール側コダリから、カトマンズまでは、
4名乗って、1人1000ルピー(1200円程度)。
コダリ15:00発、カトマンズ18:00着。




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