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ジョカン寺 (チベットメモ8)

2009.02.27 ▲チベット
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僕には強く信じている宗教は、特に無い。
ラサについた初日、なにも無しじゃ申し訳ないな、と思い数珠を買い、
チベタン達に混じって「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と唱えていた。
それを信仰心からやったのかと言うと、そうではない。
冠婚葬礼に参加するのに、礼服を着ていかないとカッコがつかない、
と、思うのと同じ程度の気持で、そうしただけだ。

ジョカンを参観中に出会った、とある若い女の子は、
青海省から親族一同で巡礼に来ているのだと言った。
(つづく↓)

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高地で暮らすチベタンらしく、浅黒い肌をしていた。
日に焼けて深いしわが刻まれていたものの、
25歳くらいの若い、目のとても綺麗な女の子だった。

一族の男たちは、俵入りのお供え物を抱えている。
全員で10人ほどの団体巡礼だ。

壮年のおじさんが、その一族にカタ(人や仏様にかける白いスカーフ)を配っていた。
彼女に促された僕も、その一族の作る列に並んで、受け取ろうとした。
すると、おじさんは、「何でお前に?」と目で言った。
彼女は、「この人は漢族じゃないの、日本人なの」と言った。
すると、おじさんの目も緩み、こころよく授けてくれた。

堂内の一房で僧侶が、儀式を始めようとする。
その度に、快活な彼女は、僕をその房へと誘ってくれる
そして、一緒に拝礼し、僧侶のくださる下賜物をうやうやしく頂く。

とにかく彼女らの一挙手一道足が、本気なのだ。

彼女らのことを、真似てみることは出来たかもしれない。
でも、やっぱり、本当のところ、よく分からないのだ。

30年間不信心で来た人間が、
今から、敬虔な信仰心を持った人間になれるだろうか?

仏教でも、イスラムでも、キリスト教でも、なんでも構わない。
何かの宗教に、全身全霊で帰依できるだろうか?と考えてみた。
が、どう考えても無理なのだ。

信仰は、心の問題なのだと思う。
つまり、神や仏を是とするも不是とするも、人間のこころなのだ。
こころが懐疑的である限り、両手を挙げて「是」とすることは不可能だ。
その宗義を知ってみようという気持ちは起きても、全身全霊で帰依できるとは考えにくい。

ジョカンでは、チベット文化圏のあらゆる場所から、巡礼者が訪れている。
彼らを見ていると、ふいに、宗教が分からなくなった。




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[ジョカン寺]

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[ジョカン屋上から望む寺前広場。右遠方に見えるのはポタラ宮。]

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[マニ車を回しながら、バルコル(ジョカン寺の外周街)を周ります。]

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lasa 拉萨
[五体投地でバルコル(ジョカン寺の外周街)を進む少年。]




★メモ
ジョカンは、ラサの中心にある最も由緒があり、賑わいをみせるている寺。
チベットの最大版図を築いたソンツェン・ガンポ王の死後に建てられたという。

王は、王妃の一人をネパールから、一人を唐からもらった。
二人の王妃は嫁入り道具として、それぞれ故地から釈迦牟尼像を持ってきた。
ネパールからもたらされた仏像を本尊とするのが、ジョカン(大昭寺)
唐からもたらされた仏像を本尊とするのが、ラモチェ(小昭寺)であった。

しかし現在、それぞれの寺の本尊は入れ替わっているという。
いつ?なぜ?入れ替わったかは謎らしい。




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