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カトマンズのナイトライフ (パート2)

2009.04.16 ▲ネパール
kathmandu

Aとは、前述の彼と飲み歩いている時にはじめて会った。
「Aと俺は幼い頃、一片のチャパティを争った仲だ」と彼は説明した。

最初、Aはあまり喋らなかった。

彼が「日本にいたとき、日本人は皆オレを疑った。だました」と言いはじめた時、
僕は「日本には外人が少ないから、我々と外人を分けて考える習性がある。それは確かだ」と言った。

Aが初めてまともに口を開いたのは、その時だった。
「だから、俺も日本人は嫌いなんだよ」
そう言うなり、Aは一足先に店を出て、ホテルへ帰っていった。

後日、日が落ちた頃の路上で偶然、Aに声を掛けられた。
カトマンズを去る予定だったはずの彼もまだ、滞在中だという。
じゃあ、あとで一緒に飲もうと、待ち合わせた。

8:30にいつもの居酒屋の入口前でAと彼は座っていた。
彼は、カトマンズ滞在中には、
持ち前のしゃべりを活かしてガイドをしながら、事業資金を稼いでいる。
その日は、あまりに飲んべえな客に愛想を尽かし、途中でバイバイしてきたらしい。
また、それとは別に、同宿のパキスタン人に2400Rsを貸したところ、
翌日とんずらされたと言う。踏んだり蹴ったりだ。
「今日は疲れたよ」と言い、彼は先にホテルへ帰って行った。

Aと本格的に話したのはその時が最初だった。
「差し支えなければ、聞いても良いですか?」と丁重にたずねてきた。
イギリスに住んだことがあるか?という質問だった。
ある、と答えると、
「やっぱり、なまりでそうだと思ったんだ。
 俺はイギリス人の友達が沢山いるんだ。だから、君とは話ができそうだ」
彼は言った。



Aは、15歳の時からカトマンズの伯父さんの商売を手伝って、金回りが良かったという。
実家はカトマンズからさほど遠くない農村である。

おじさんの商売は、彼が20歳を過ぎた頃、傾き、倒産した。
伯父は母親名義の故郷の実家の土地まで抵当に入れていた。
だから伯父には騙されたと恨む。
若い頃から辛酸なめ尽くしているのだ。

「殺してやる」とある日叫んだ彼とは正反対のA。
彼は、ひたすら走り、思い込んだら一直線。盲目になる。
例えば、日本人が嫌いと思ったら、とことん嫌う。
白黒がはっきりしている。
うまく行くときはぐんぐん昇って行くが、沈むときも同様に速い。
人を信じやすく、人に騙されやすい。憎めないタイプ。

Aは、慎重で思慮深い。ブッダの教えを良く引用する哲学家だ。
いかに自分をコントロールするか、煩悩を殺し、何事もほどほどの生活を尊しとする。
外国へなんか行かなくても良いと言った。
人生で大事なことは、日常に転がっているからだ。
釈迦だって、ネパールと北インドを巡っただけで悟りを開いたんだから、と。
だから、自分も欲を抑え、日常を大切にし、善き人生を送りたい、と言う。
彼は、自分のことを好きになれないのだ。

彼は、今、ナガルコートのホテルをマネージャとして切り盛りしている。
「そこでは、とても静かな生活なんだ」という。
「カトマンズでは、酒も飲むし、昔はドラッグにも浸った。
 バンドのボーカルをやっていたこともある。
 でも、全部疲れた。
 オレは自分自身のことを好きになれない。
 今は、ナガルコートで仕事している時は、酒の一滴も飲まないんだ。 
 今は、ひっそりと静かな生活を送っていたい」という。
まず身の回りのことを大切にしたい。そこから幸せを作って行きたい、と言った。

Aのことは、好きになれそうだと思った。
そして、ナガルコットへ必ず訪ねに行くからと言って別れた。













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